早朝。
──国衛隊の訓練開始の3時間前。
「44……45……」
オウカは、右の拳を床に突き立てて体を上下させている。
片手での拳立て。
この鍛錬法は、単純な腕力を上げるだけではなく、全身の筋肉を連動させる技術の向上も期待される。
結果、強力な拳撃を可能にする。
──訓練開始2時間前。
「スゥー……ハッ……」
片手での15kgの棒の素振り。
この鍛錬法は、剣を使うときに剣自体の重みを利用して、素早い体移動を可能にする。
二刀流という戦術も可能だ。
──訓練開始1時間前。
「……」
目を閉じて片足で立っている。
オウカの足を支えるのは、地面……ではなく、丈夫な”鞠”(まり。球体)
身体のバランス感覚を極限まで研ぎ澄ます訓練。
――訓練開始45分前。
もう少し鍛錬できそうだ。
オウカは、シーナ武術で使われる刀剣・”太極剣” ……の模擬刀を手に取る。
模擬刀を鞘から抜くと、真っ直ぐに伸びた刀身が姿を現す。
薄く軽く、しなやかな刀身だ。
シーナ武術の筆頭に挙げられる太極拳――の動きをそのまま拡張するかのように、オウカは太極剣を扱う。
連続的で円運動・流れるような動き――
シーナ国軍で修行させられた格闘術――の鍛錬法だ。
――訓練開始30分前。
オウカが玄関をドアを開けると、眼下に朝日に照らされた街が広がる。
丘の上にある一軒家の寮から、エレナとの待ち合わせ場所である 自然公園まで走り出した。
――国衛隊基地・鍛錬場。
-チャッ-
日ノ国刀を持つ。
居合の構え。
「それじゃ、投げるよー」
テニスボールが投げられ、宙を舞う。
――日ノ国刀は、太極剣に比べて、2倍は重い。
腕力で振るのではなく、刀を ”身体の延長” と見なし一体化するイメージが より重要になる。
-スゥッ-
抜刀と共に、斬る。
テニスボールが上下に綺麗に分かれ、地面に落ちる。
「――オウカ、めっちゃ筋が良いな」
”侍族” である女教官が口を開く。
意図的に遅く動いて、剣術鍛錬をしていたオウカ。
遅く動くことで、自分の身体の内部の骨格や筋繊維の流れを感じ取り、より精度の高い身体操作を目指せる――と同時に、強さを悟られない為でもある。
その身体操作を、褒めてもらえたのだ。
「ホントですね。オウカちゃんの居合、予備動作が見えないし、力みも無い。スゴイ!」
同じく、選択教練で剣術を教わっている同年代の少女・カンナが話しかけてきた。
――カンナは ”侍族” ではないが、日ノ国の平和を取り戻すため、侍として生きると決めた。
(今は、まだまだ半人前だが……)
故に、侍族の女の子たちと一緒に遊びに行ったり、休日にも侍族の鍛錬場に行ったりと、交流がある様だ。
この女教官ともLIME(メッセージアプリ)を交換してるらしい。
――侍族。
”侍の家系の血縁者” を意味する。
複数の家系・剣術流派の総称。
……が、現代の侍族は血筋は重視しない。
あくまで、生き様・精神性を重視する。
故に、血縁者である侍(侍族)と、血縁者ではない侍は、あまり区別されない。
侍は、前線での直接戦闘を専門としている。
とうぜん、戦闘術は ”剣術”
――加えて、剣術の身体操作を活かした徒手格闘術 ”古流柔術” だ。
(その他の武芸十八般は、侍族内でも鍛錬する者はかなり少数派)
まあ私は、侍の生き様・精神性に興味はなく、侍の戦闘術を知りたいだけだ。
つまり、侍になりたいわけではなく、日ノ国剣術を教わりたいだけ。
だから、必須教練に加えて、選択教練でも剣術を鍛錬している。
――エレナは、本日の選択教練としての剣術鍛錬には来ていない。
選択教練のどれを受けるか悩んでいるらしい。
必須教練に組み込まれていない格闘術も、体験入門的に色々受けに行っている。
(国衛隊の外部から講師を招いて指導されることもある。頻度は低いが)
――私も、エレナから話を聞いたり We Tubeで動画を見たりしている内に、沖縄唐手や合気柔術にも興味が湧いてきた。
今度 試しに それらの選択教練に参加してみよう。
――教練終了。
教練に参加していたオウカの先輩にあたる女性は、あぐらで座りながらスポーツドリンクを飲みつつ――仮想キーボードを叩いている。
ARレンズの接続先は、国衛隊支給品のベルト――ではなく、忍者族の支給品である手甲=棒手裏剣などの収納用の腕カバー(Wi-Fiマイコン内蔵)。
[スパイ被疑者として保留中のオウカ隊員、現状は目立って怪しい点は無し。引き続き、監視されたし]
忍者族の情報管理部へと送信。
引き続き、同年代の忍者にLIMEで送るメッセージをタイピングしていく。
[監視ってのはコストかかるわあ。剣術教練に集中できないよ。マルチタスクは動物としての本能ではあるが、面倒くさい]
愚痴を送信。
返信が来た。
[忍者族の中には前線を希望する者もいるし、忍者はもっと前線にも出るべきなのかねぇ]
更に送信。
[戦争で使えないハズの銃器の扱いの重要度が 去年から明らかに上がってるし、上層部の考えはわからん]
――その総数は数万人と言われる忍者族。
忍者たちは、忍者であることを隠す者が殆どであり、日ノ国の様々な国家機関および傘下組織に入り込み、活動している。
公安も忍者族が半数を占める……という噂もある。
必然、この国の政治にも多大な影響を及ぼす。
忍者族の長および その側近たちが誰なのかは外部には明かされない。
――にも拘わらず、日ノ国の政治において強い権力を持つ。
国会議員として活動する忍者などがパイプ役となり、長の意向を伝える。
側近には、官僚として活動する者も複数いるらしい。
「――シーナ国のスパイが多数 政界に潜り込んでいる。
このままでは、日ノ国は終わりだ」
手裏剣術の選択教練を終えたエレナと合流、カンナも含む新米隊員10名ほどが集まって神妙な面持ちで会話をしている。
明日は休日なので、話し合いは長くなりそうだ。
オウカは、多人数での会話が大の苦手なので、少し離れたところで耳を傾ける。
(自分が喋らなくても会話が進むなら、発言する必要性を感じない陰キャ)
「日ノ国の政治の中枢にまで潜り込んでいるらしいね。
シーナ国籍から帰化した政治家や、純日ノ国人だけどハニートラップにかかった政治家も多い」
――自国スパイを送りこむよりも、敵の弱みを作りスパイにしてしまう方が早いし、用済みになったら いつでも切れる。
「殆どのオールドメディアは報じないけど、ネット情報のが遥かに信ぴょう性は高い。
コメント欄を見れば、ある程度 民意がわかる……消し込まれてなければね」
――この国のオールドメディアは信用を急速に失い、洗脳装置として機能しなくなってきている。
SNSが民意反映の場となっている。
「外国人優遇により、他文化を強制されている状況だ。
今の総理は明らかに親シーナだ」
――外国人優遇しまくって大量に移民させる。
そして、外国人に参政権を与える法案が可決されれば、政治面からもシーナ国がより侵略しやすくなる。
「日ノ国は、経済・土地のみならず、果ては思想や宗教という最深部まで侵略されつつある。
日ノ国人としてのアイデンティティを破壊しようとしている」
――そうだ。
日本文化を希薄化させ、民意を無視してまで海外文化をゴリ押し。
教育機関の教科書も、シーナ国文化が侵食しつつある。
全方位から日ノ国を侵略することがシーナ国の目的だ。
――そして、軍事面でも。
――私は、日ノ国軍の将校になり司令部に入り――機密情報をシーナ国に流し続ける。
それが、私がシーナ国スパイとして使役されている理由だ。
そのためには、武功を挙げる事が合理的だ。
――しかし、武功を挙げようにも戦争がなければどうしようもない。
せいぜいが、隣国による領海侵犯での小競り合いだ。
戦争が起きる兆候は、今のところ感じられない――
――時を同じくして、国衛隊本部。
複数の幹部達が並ぶ。
その一室に、国衛隊におけるオウカの上官であるショートヘアの女性、マキが召集を受けている。
その内容。
シーナ国の南に位置する小国・北夕鮮が、無害通航権の範疇を超え、日ノ国領海である尖閣諸島の付近を航行している。
つまり、領海侵犯をしている……とのことだ。
シーナ国の 尖閣諸島付近への領海侵犯は毎日の様に頻発していたが、2カ月前からは何故か突然 止まった。
それと入れ替わる様に、1か月半前からは北夕鮮も同じように領海侵犯を繰り返しているのだ。
そして、尖閣諸島との距離は日を追うごとに狭まる。
このペースだと数日の間には上陸……も考えられる。
北夕鮮は、シーナ国と手を組んでいるのか?
または、その様に思わせるミスリードなのか?
……判断しかねる。
なので、こちらも相応の態度を示さねばならない……とのことだ。
(相応の態度示すの 遅えよ、と内心思った。)
「――北夕鮮と日ノ国では、ウチの方が総戦力は明らかに上。
さらに、集団的自衛権・アメルカとの安全保障条約もある。
あちらも、本格的には日ノ国を侵攻しようとは思っていない。
ただの威嚇だろう」
だから、至急チームを編成後、現地に行き退去要求をしろ……との指令だ。
「了解しました。至急 手配致します」
そのまま敬礼をし、その場を後にするマキ。
長い廊下を歩いている。
廊下には、誰もいない。
――怒りが湧いてくる。
生まれ落ちた時より、慣れ親しんだ この国。
私自身が成長するにつれ、世界を知るにつれ、どれだけこの国が素晴らしいかを知った。
先人たちが命を賭して創り上げた、美しいこの国。
――なのに、この国を侵略しようとする者たちがいる。
隣国にも、国内にもだ。
聖人君子の様な顔をしながら、ヤクザが相対的に善人に見える程の悪を成す。
――マキの両腕に、血管が浮き上がる。
防衛省にも国衛隊にも、スパイはいるだろう。
あの幹部連中の中にも、スパイがいる可能性もある。
――私の かつての親友は、優しすぎた。
故に、クズ共が群がった。
高校時代のクラスメイト達に金を無心され、職場では仕事とストレスを押し付けられ、尊厳を破壊され――人間としてではなく、便利な道具として扱われ続けた。
それでも その子は、いつか理解ってくれる、変わってくれると、クズ共を信じ続けていた。
クズ共は、その子の優しさを理解した上で――全く共感せずに、徹底的に搾取し続けた。
私は、親友の異変に気付きつつも、国衛隊の任務が忙しく……深く考える余裕もなく、故に 特に何も出来なかった。
……いや、しなかった。
最期に[マキ。今まで本当にありがとう。ごめんね]と、送信予約されたメッセージが私の元に届く頃には――短すぎる生涯を終えていた。
――マキの顔に、青筋が立っていく。
優しさは、相手を選ばねばならない。
優しくすると、際限なくつけあがる奴はいる。
優しさは、クズ共にとっては 付け入る隙でしかない。
クズ共との対話方法は――まず精神暴力、そして物理暴力だ。
日ノ国の外交には、両方が圧倒的に足りない。
――日ノ国の平和を破壊する者は、敵は、クズ共は!
片っ端から血祭りに上げてやる。
日ノ国ナメんなよ ゴラァ――
――日が昇る一刻前。
オウカは森の中にいた。
静寂を闇が包み込む。
森の奥、少し視界が開けた場所に、オウカは立っている。
右手には、削りたての鉛筆の様な──全長15センチ程の棒手裏剣が握られている。
視線の50メートル程先には、十重二十重に重なるミルフィーユの様な硬い地層。
――風で、木の葉が舞っている。
-ヒュオッ-
右腕を振った。
棒手裏剣は一直線に飛んでいき、空中の木の葉を貫通。
そのまま50メートル先の断層に音もなく突き刺さる。
左手の手甲から、次の棒手裏剣を取り出し――右腕を振る。
2枚目の木の葉を貫通し、断層に突き刺さる2本目の棒手裏剣。
3枚目、4枚目、5枚目の木の葉が舞う。
3本目、4本目、5本目の棒手裏剣が飛び、貫通し、断層に突き刺さる。
――次に、この国の侍が使う ”日ノ国刀”――の模擬刀を手に取る。
ずしっ、と その本物の日ノ国刀と同等の重量が伝わってくる。
その重量は、侍が命よりも大事にするという武士道の重さを象徴しているようにも思えた。
――オウカの目の前に、オウカがイメージで創り出した ”仮想の敵” が現れた。
オウカは左手で模擬刀を納めた鞘を持ち、右手を刀の柄の部分に構える。
居合の構え。
……刀身の重さを鞘ごしに左手に預ける。
――柄を持つ右手を前方に飛ばすと同時に、鞘を持つ左手を後ろに引き、刀身は一瞬で鞘から放たれる。
刀身が鞘から解放されると同時に、右手の小指を引く。
結果、刀身は自らの重量で前方に勢いよく飛んでいく――
-スアッ-
常人には、到底 反応できない速さの斬撃。
周りの木々が、風圧で少し揺れた。
――仮想の敵は、オウカの居合術を紙一重で躱し、ガラ空きとなったオウカの左半身めがけて 右斜め上から――刃を振り下ろす!
同時にオウカは、刀を持つ右手を引く。
同時に、オウカの身体は刀の重量に導かれる様に、前進していく。
日ノ国刀に引っ張られる推進力を利用して、刀の右側へと身体を移動させる。
敵の袈裟斬りを、ギリギリで躱したオウカ――は!
右手に持った刀の重心を、敵がいる方向へ――前へと倒す。
すると、刀身は自らの重量で 勝手に前へと進んでいく。
その前進に付いていくように進むオウカの右腕と全身。
切っ先が、敵の喉元を貫いた。
――刺突。
敵は、音もなく、砂埃を舞わせる事もなく――倒れていく。
日ノ国刀の重みを利用して、武術の足運び――”運足” で、自分の身体を自由自在に操る訓練だ。
オウカは、右手に握った日ノ国刀に目線を落とす。
シーナ国で訓練された太極剣や倭刀によるシーナ剣術は、まるで舞っているかの様な――柔軟性を活かした変幻自在の動きが印象的だ。
対して、日ノ国剣術は直線的で――動きが極端に少ない印象だ。
シーナ剣術に比較すると、柔軟性など感じられない様に見える。
――しかし、重厚な重みを感じる日ノ国刀を扱うには、身体全体の動きを一致させて力を出すことが必要だ。
それには、鍛え抜かれた柔軟性が不可欠。
身体の柔軟性・体幹、加えて自身の体重移動から生まれるパワーを日ノ国刀に込める。
日ノ国刀を持つ右手の微細な操作で、そのパワーは倍加していく――
シーナ剣術と日ノ国剣術。
技としての現れ方・表現する流儀が違うだけで、その深奥――中枢にある本質部分は、シーナ剣術も日ノ国剣術も同じなのかもしれない。
――オウカは、日ノ国刀を振る。
戦闘訓練ということも忘れ、ひたすらに日ノ国刀と対話するかの様に。
時の流れも忘れて、無心で日ノ国刀を振り続けている。
シーナ武術と日ノ国武術が、自分の中で融合を始める――
――いずれ、自分の流儀を生み出すための準備段階にあることを、体感的に自覚しているのかもしれない。
――懐かしさを、感じる。
いつ以来だろう、こんな感情は。
心の底から、衝動が こみ上げてくる。
――無邪気な少女の様な 微笑みを浮かべるオウカの顔を、朝日が照らしていた。
――――小悪で反応をうかがい、大悪の実行の可否を判断。
個人レベルでも組織レベルでも、日常的に行使されている事だ。
そして、国家レベルでも。
――だが、その様な 小悪による査定 の段階はとうに過ぎている
小悪は、北夕鮮にとって大悪実行の大義名分を得る為の、火種。
北夕鮮による大悪実行は、計画者にとって ”その先” への、布石。
巨大な悪意に 突き動かされ──
”世界最悪 独裁国家” 北夕鮮は、本格的な日ノ国侵攻を秘密裏に決定していた。
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