赤い血が、滲む。
左手の甲に刺した棒手裏剣。
ダメだ。
自分への怒りに任せれば、もっと強く刺すべきだ。
だが、戦闘に支障が出る。
支障が出ない範囲で――罰を与えなければ。
この愚か者に!
――棒手裏剣を握るカンナの右手に、更に力が入っていく。
ぎりぎりぎり、と左手の甲を這う 棒手裏剣の先端。
棒手裏剣の先端は手首の方へとゆっくり移動し、その軌跡から赤い液体が、ぴゅっ、と飛び出してくる。
赤い血が、滴る。
「……ふぅ」
今のカンナにとって、その痛みが妙に心地よかった。
(ハマると、ヤバいなコレ……と、呑気な事を考えたりもした)
カンナの頼りない表情は、自分への怒りの表情に変わり──そして今、冷静な表情へと変わった。
「――ビビらせたいの? 腰の刀で自分の首をハネたら、いくらでもビビってあげ――」
女の言葉を遮る様に、カンナは言葉を発する。
「――ごめん、オウカ。もう大丈夫」
その口調は、その表情は、冷静だった。
――頭は冴えている。
あの女なら倒せるか――いや、わからない。
しかし、多分 さっきのアタシの首への攻撃時の身のこなしから察するに、倒せる可能性は充分ある。
だが、もう一人の男は――どれだけの強さか、わからない。
もし、アタシより明らかに男の方が強いなら――逃げる。
無駄死にを避ける為に。
――アタシが1人だったなら!
だが、オウカが繋いでくれるなら、話は別だ。
この女――と、もう一人の男、両方が攻撃してきたとしても、あの暗器がアタシの首に刺さった瞬間、オウカが繋いでくれる。
”日ノ国を護る” という、意志を。
自分への怒りを可視化した、棒手裏剣の先端の軌跡――から溢れる液体に塗れた左手を、振る。
赤い血が、舞う。
その口元は、うっすらと笑っている様にも、見て取れる。
「――ねえ、お姉さん」
カンナは、居合の構えを取った。
「隻腕、似合いそうだね」
――――マキは、南の方角を見た。
眼下には、断崖絶壁。
その先には、相変わらず美しい海が広がっている。
足元には、敵兵の男性4名が転がっている。
気絶、又は 倒れた直後、マキが全体重をかけて片脚を踏みつけ、その激痛で立ち上がれない状態だ。
戦闘不能ではあるが、赤マーカーは表示されたままだ。
空中を2回タップ。
――現在の戦況を、ARレンズを通した視界に表示する。
魚釣島全体のマップに、味方を示す ”緑シグナル” が32個、点灯している。
そして、自分自身を示すアイコンの至近距離には、敵を示す ”赤シグナル” が4個 点灯している。
――魚釣島全体では、赤シグナルは13個。
……いや、15個に増えた。……いや、12個に減った。
つまり、12名の敵が、現在進行形で(味方によって)視認されている、対峙している……という事だ。
――そして、敵を視認した履歴(視界から外れた敵も含む)は21名。
……いや、24名に増えた。
このペースだと、もっと増えるだろう。
敵兵の総数は、こちらと同じくらい……というのは甘い試算だろう。
味方の総数を、敵の総数が上回っている。と試算すべきだ。
「――ケンジ、立てるか?」
マキとペアを組んだ男は、マキの左横で倒れていたが――立ち上がった。
「ああ、すまん。不甲斐ない所を見せちまった」
敵兵1名と接戦の末 倒したが、相当 体力を消耗してしまった様だ。
マキは、上官から分けてもらった ”兵糧丸” を一粒、ケンジに渡す。
「食え。疲労回復の効果がある」
兵糧丸を口に放り込むケンジを、少し休ませたい所だが……マキは冷静な表情で、言葉を発する。
「――ここから北120メートル地点で、味方3名・敵3名が交戦中だ。加勢して、”多 対 少” で叩くぞ」
マキの右手には、日ノ国刀が握られている。
――――エレナと共に行動する、ツリ目の少年セイイチ。
セイイチは、前を見据える。
――セイイチの父親は、日本最大政党に所属する政治家だ。
その政党は腐敗が進んでおり、民意を無視して 利権最優先の法案を通す。
企業からの献金で懐を肥やし、日本を衰退させている。
安い労働者を求める企業は多く、安価な労働力として移民をガンガン日ノ国に入れている。
ブラック企業ほど、安価な労働力を求める。
――だが、割を食うのは一般市民だ。
同じ職場の日ノ国人に、負荷が大きい仕事が割り振られ、疲弊していく。
転職しようにも、低賃金で奴隷の様にこき使える移民労働者がガンガン入国してくるので、日ノ国人の賃金も安くなってしまっている。
挙句の果てに、年間1万人以上も失踪、犯罪に手を染めており、治安悪化が著しい。
なのに、”多文化共生” や ”移民は、日ノ国の宝” などと宣い、更に移民を入れようとしている。
(また、治安悪化に対する防止策もロクにされないのは、親シーナ派議員・スパイ議員が多く、シーナ国移民のイメージを、相対的にマシに思わせる戦略……と思われる)
企業だけがメリットを享受して、一般市民はデメリットだけを押し付けられる状況だ。
――セイイチの父親は、以前は それなりに日ノ国の為を思って、日ノ国の為の政治をしていたらしいが、自分が甘い汁を吸える立場になったのか、突然に掌を返した。
といっても、矢面に立つこともなく、売国法案に ひっそりと賛成するだけだ。
だから、ネット上で売国奴としてもあまり認知されていない。
”【拡散希望】売国奴リスト” みたいな画像などの片隅に、たまに ちょこんと載っている位だ。
だが選挙が近づくと、TwittelなどのSNS上では 立派な事ばかり並べる。(リプ欄は非表示)
――そのうち、シーナ国のハニートラップにでもかかって、矢面に立って売国政策を声高に打ち出すのではないか……とセイイチは危惧している。
母親は、そんな父親を責めることもなく、父親が稼いだ金でリッチな生活をエンジョイしている。
――セイイチはいつも立派な事を説く両親を尊敬し、大好きだったが、15歳になる頃には疑問を抱き始めた。
そして、”俺の両親が、そんなクズ人間である筈がない!” という信頼が本物であると、自分自身に証明したくて――空いた時間の殆どを使って、政治の事や父親の活動などを調べた。
父親にも、何十回も何百回も取り調べする刑事の様に、質問し続けた。
調べれば調べるほど、自分の大好きな両親は、この世に存在しない架空の人物だと理解した。
両親が、人間の外見だけを真似た――得体の知れない、2匹の醜悪な生物であるように思えた。
──そして、自分自身も、国民の不幸と引き換えに豪勢な生活を甘受していたと知り、絶望──怒りへと変わる。
──セイイチは、前を見据える。
どちらかというとガリ勉タイプだったセイイチは、身体を鍛え始める。
中学卒業と同時に家を飛び出し、国衛隊の候補生として寮住まいを始める。
家にいた頃の豪勢な暮らしとは一変、過酷でストイックな生活が始まった。
体力不足ゆえ、教官に罵倒された。他の候補生から馬鹿にされた。
人生で味わった事の無い屈辱を、味わい続けた。
――だが、元来努力家であるセイイチは、それすらもバネにして鍛錬を重ね続けた。
そして、正規隊員として今――ここにいる。
――セイイチは、前を見据える。
敵兵3名を視界に捉えた少年セイイチの、信念は静かに燃えている。
右手を背中に伸ばし、”忍者刀” を鞘から抜く。
訓練ではない。
生涯 初めての実戦。
だが、セイイチは自分でも意外なほどに冷静だった。
前方、キャッチボールをする位の距離にいる敵兵3名(男2名・女1名)も、こちらを見据えている。
一歩一歩、近づいてくる。
無言だ。
――セイイチは、右手に忍者刀を構える。
真っすぐに伸びた、両刃の刀身。
全長は、日ノ国刀の2/3程度だろうか。やや短い。
加えて、左腰のホルスターに挿していた ”苦無手裏剣” を――左手に握る。
右手の忍者刀の切っ先を、相手に向けている。
そして、ステップを踏み始めた。身体を小刻みに上下させ始めた。
――――敵兵3名の内、1名がエレナ(セイイチから見て、右側にいる)に向かって、
そして、やや垂れ目の青年――リュンがセイイチに向かって、歩み寄ってくる。
男1名は、やや後ろから歩いてくる。
――リュンは、セイイチを見据える。
このツリ目の少年の狙いは、明白だ。
刺突。
遠間からは右手の刀で突く。
それを躱されて懐に入られたら――左手の一風変わった、黒く無骨なナイフ(”クナイ” っていうんだっけ?テソンに教わった気がする)で突く。
それが、この少年の基本戦術。
リュンは、右手で剣を持っている。
その剣は、両刃が真っすぐに伸びており、セイイチの忍者刀よりも――長い。
攻撃が遠くまで、届く。
――エレナは、それを見ている。
セイイチには、分が悪い。
身のこなしから見て、リュンの方が多分、格上。
それに、直線的な前後の動きがメイン、左右に躱す技術が乏しいセイイチには――より長い刀剣を持つ相手とは相性が悪い。
相手の方が実力が高く、相手との相性も悪い。
”圧倒的に不利だからこそ、秘められし潜在能力が解放され──大逆転勝利!”
……などという、この国の少年漫画みたいなドラマティックな展開は――99.9%起こらないだろう。
まあ、相手のミスで逆転勝利する可能性は 少しはあるが、負ける可能性の方が圧倒的に高い。
――期待値が、悪すぎる。
セイイチでは勝てない――と判断すべき。
”正々堂々、1対1の実力勝負” なら、だけどね――
――エレナは、国衛隊の戦闘訓練で、様々な武器の戦い方を修得しようとしている。
現在、エレナが戦闘術として集中的に学んでいるのは――忍術……の膨大な技術の内の1つ・近接格闘術。
その中でも、武器術。
各種手裏剣を始めとする忍者族の武器に、高い興味をもって学んでいる。
――そして今、エレナが持っている武器。
サブ武器は、両手の手甲(革製)に仕込んだ――携帯性に優れた、棒手裏剣。
そして、メイン武器は、左腰に携えた――奇しくもセイイチと同じ、忍者刀だった。
――敵兵の女1名が、エレナの間合いに入るか否かの、刹那。
エレナは、音もなく前進。
女の眼前にいた。
女は、左手で何かの暗器を取り出し、迎撃――
-グチャッ-
――単純に、女が迎撃するより早く、女が反応できないほど武術的に速く、エレナの左拳が女の顔面を捉えた。
そのまま、ゆっくり後ろに倒れていく女の身体。
(鼻血が飛び出て、唇はひん曲がっている。さっき迄はそこそこ美人だったのに、今や見る影もないくらい酷い顔だ。
”お嫁に行けない” って言うんだっけ?こーいうの)
――エレナは 右手に棒手裏剣を取り出しながら、倒れていく女の数メートル後方にいる、両手に鉄製の手甲を装着した男へと視線を移し――
右手を、ぶんっ、と 振った。
――リュンは、右手に握った剣を、セイイチに向かって突き――
-ドスッ-
リュンの右前腕の内側に、黒い鉛筆――エレナが右手で放った、棒手裏剣が生えていた。
リュンの顔が、苦痛に歪む。
――セイイチは地面を蹴り、一気に接近した。
-カチャッ-
――セイイチは、目を見開いた。
リュンが右手に握っていた剣を、左手に持ち替えた――いや、右手にも相変わらず剣は握られている。
1本の剣が、2つに分かれた――?
ヤバい!
セイイチは、前進を中断――すかさず後ろに飛んだ。
-シャッ-
左手での剣撃を、紙一重で躱したセイイチ。
だが、リュンは更に踏み込み、棒手裏剣を生やしたままの右前腕から血を巻き散らしながら
――右手で ”双剣” の片割れを突き出してくる!
-ズチャッ-
肉が抉られる、嫌な音がした。
「ああぁ――あッ……」
セイイチの腹部に食い込んだ剣先。
痛みに悶えるセイイチは、忍者刀の先端を、剣を握ったリュンの右腕に突き刺す!
「か!……はあっっ」
リュンは、堪らずセイイチから距離を取る。
――セイイチは、腹部から血を垂れ流しながら、1本の剣に擬態した2本の剣―― ”双剣” を持つリュンを睨みつける。
1本の剣に、同じ形の もう1本の剣を隠す……。
これも、一種の ”暗器” と言えるかもな。
――武器は、殺意を原動力とした創意工夫により、生まれる……面白い。
セイイチは、腹部の激痛を根性で捻じ伏せながら、再びリュンとの距離を少しずつ、詰め始める。
――エレナは、地面に倒れて軽く跳ね上がっている女の数メートル後方にいる男へと、歩を進める。
-ヒュッ-
エレナが繰り出した左拳が、男の顔面へと放たれる。
男は、頭部を本人から見て左側に振り、ギリギリで左拳を躱し――カウンターパンチを決めるベく、鉄製の手甲で強化された右拳を繰り出す。
……が、男のカウンターパンチは、強制中断される。
-ドボッ-
金属製の物体が、喉に食い込む嫌な音が、男の耳に聞こえた。
――エレナは、左拳を繰り出すと同時に、右手で──逆手で、左腰に携えた忍者刀の柄を握り、
――右拳の突きを放つ身体使いの要領で、柄の先端をそのまま真っ直ぐに男の喉に向けて突き出していた。
「――ぐ、あがあぁぅ!」
呼吸困難。
激しく動いている最中、喉への打突を食らい、酸素の供給が強制中断。
白目を剥きながら そのまま、ゆっくりと後ろに倒れていく、男の身体。
忍者刀を構えたエレナは、追撃を――いや、男は失神し、その身体は痙攣している。
――エレナは、セイイチに視線を移す。
加勢すべきだろうか――
――セイイチと敵との距離が、再び詰まっていた。
セイイチは、間合いの外から飛び込んでの先制攻撃を追求する格闘技(フェンシングと伝統派空手)を、習っている。
誤解を恐れずに言えば、その際 攻撃の”威力” は考慮されない。
長年、鍛錬を積んだ者の様に ”速さ” と ”威力” を両立する技量は、(ポイント制の組手においては)考慮されない。
――なので、全身を鞭のように使い ”速さ” と ”威力” を両立する技量を持つ熟練者と、そうでないセイイチとでは――
全体重を乗せた突き蹴りを、高速で相手に撃ち込む様な闘いでは、歴然とした差があっても……
攻撃の威力が考慮されない闘い(ポイント制の組手)においては、その差は圧倒的に縮まる。
――だから、”刺突” に特化した戦術を選んだ。
セイイチの筋力でも片手で扱いやすく、精妙な身体操作ができなくても扱いやすい(日ノ国刀よりも軽い)忍者刀を選んだ。
剣に体重を乗せられなくても、剣先は容易に相手の肉を――抉る。
-ヌチャッ-
セイイチの右手の忍者刀の先端から、嫌な音が聞こえる。
「あ――ああぁっっ……」
腹部を突かれた痛みで、リュンの喉の奥から呻き声が絞り出される。
そのまま、ゆっくりと後ろに倒れていく、リュンの身体。
――リュンの身体が地面に倒れ、軽く跳ねた直後。
-ガドッ-
セイイチがサッカーボールキックを撃ち込み、リュンの呻き声と――意識は途絶えた。
――倒した。
敵兵を、生まれて始めて、倒した。
もう、大丈夫だ――
――がくっ、と膝が抜けた。
安堵感に包まれた途端、緊張の糸が一気に切れた。
ダメだ。
まだ、この先も、魚釣島での戦いは、日ノ国を護る戦いは続くんだから――
”ズキッ” と、腹部から痛みが込み上げてきた。
セイイチが、リュンの剣先に突かれた場所を見ると、じわっ、と血が滲んでいた。
「私たち、勝ったね~」
エレナの声が聞こえる。
この人、ON/OFF の切り替えが凄えな……。
――森に突入する前の数十分、自分の信念の根源についての話を聞いてくれたエレナ。
初めての会話なのに、自分語りに終始して怒りの感情を露わにしてしまった。
エレナからしたら、突然脈絡もなく そんなの聞かされてたまったものではない。
すまない。
エレナについての話も聞くべきだった――
いや、そもそもペア組むんだから 具体的な戦い方を、建設的な議論を――
「――私も、負傷しちゃった~。少し休もうか。数分間だけだけど」
嘘をつくな。
セイイチは、エレナの戦いを見る余裕などなかったが、エレナは嘘をついてると直感した。
そして、その嘘を感謝を込めて受け入れた。
優しい嘘を。
――――カンナは居合の構え、オウカは両手をダラッと垂らした無構え。
2人は、敵兵2名が立つ前方へと ほぼ同時に歩を進め始めた。
――そしてカンナは、女に向かって更に一歩、大きく踏み込んだ。
先程までとは打って変わって、全身に脱力が効いた動きだった。
日ノ国刀の柄を軽く握った右手が、前方へと振られる。
-フオッ-
鞘から抜刀された切っ先が、女の右腕へと飛んでいく。
――女は、カンナの踏み込みを察知し、反射的にバックステップしていた。
紙一重で斬撃を躱した女――は、居合が空振りして大きな隙ができたカンナ目掛けて、前進を始める。
――同時に、鞘に添えられていたカンナの左手……が! ぶんっ、と振られた。
血による目くらまし――?
……ではない。
-ドスッ-
カンナの血に染まった棒手裏剣が、女の腹部に生えていた。
――女は顔を歪めながらも、前進を止めない。
右手に握られた峨嵋刺を、銀色の棒の先端を――カンナの左眼球を目掛けて突き出した!
-シャッ-
カンナの左眼球を突いた――ハズの金属の棒の先端は、左頬のやや上の部分を捉え、皮膚を削る音が、微かに聞こえた。
――カンナは、右手に握った日ノ国刀の重みに引っ張られる様に、右前方へと移動。
ギリギリで左眼球への攻撃を躱していた――
左眼球への攻撃を躱された女は、隙ができている。
カンナは、女の方へと素早く方向転換――
ダメだ!今のアタシじゃ できない!
――カンナは右脚に力を入れ、足で大地を蹴り、力ずくで方向転換をする。
剣術の流麗な体移動とはかけ離れた、不格好な動き――
──届け、届けえええ!
-ズチャッ-
――日ノ国刀の切っ先が 女の左肩を突いた直後、地面に倒れていく女……の呻き声が響き渡った。
――同時に、オウカは男の間合いに入った。
男は、オウカの眼球を目掛けて、銀色の棒を、峨嵋刺を握った右手を突いた。
-ヒュオッ-
オウカは、銀色の棒を左に躱すとともに――左手で、男の右手首を掴んだ。
――男は、左手に持った銀色の棒を、オウカ目掛けて突く!
――より早く、オウカは、銀色の棒を持ったままの男の手首を捻って立ち関節を極め、下方向に力を加える。
男は、苦痛に顔を歪めながら地面に跪き、オウカは――
-めきぃっ-
そのまま折った!
「あっ……あああ――」
-グチャッ-
オウカの右拳が男の顔面にメリ込み、苦痛に喘ぐ男の叫びは強制中断された。
――仰向けに倒れようとする男――の両手から、いつの間にか峨嵋刺が消えている。
両手に持っているオウカ。
オウカは、峨嵋刺のリングを両手の中指に装着し、それを起点に 30センチ超の銀色の棒を ひゅんひゅん、と回転させている――
……男は仰向けに倒れて、一瞬だけ身体が弾み、そして動きが止まった。
――左肩から血を流す女が、”もう戦意はありません。攻撃しないでください” と言わんばかりの ぐったりした表情で、立ち上がる。
仰向けに倒れた――これまた右前腕と鼻から血を流しながら……痙攣している男に、よろよろ、と歩いていく。
「……おい、大丈夫か……」
どう見ても、大丈夫ではない……男も、女も。
女は、男に肩を貸し……そのまま去ろうとする。
「……次は、負けねえよ」
女は、そう言い残し――去ろうとする。
オウカは、両手で回している鉄の棒――そのリングから両手の中指を、すっ、と引き、空中で回転を続ける2本の棒――を、ぱしっ、とキャッチした。
オウカは、その背中を見送り 熱い再戦の誓い――ではなく、両手を ぶんっ、と振った。
-ドスッ×2-
女と男の、それぞれの右脚に刺さった棒が、銀色に輝いている。
2人まとめて、地面に倒れる。
顔は、とうぜんながら苦痛に歪んでいる。
えーと、戦いの終了の決定権があるのは、基本的に強者なんだが。
弱者に決定権があるのは――死亡した時だ。
――オウカは、カンナへと視線を移す。
カンナは、日ノ国刀を鞘へと納めた。
そして、この戦いが終了した安堵感から一気に解放され――よろめき、仰向けに倒れた。
「あれ……?」
数秒間、空を眺めていた。
――平和そのものだ。あの青い空は。
その下では、赤い血が舞っているというのに。
──痛い!?
熱を発してズキズキと痛んでいる──左手の甲の傷。
ああ、さっき自分でやったんだっけ……。
「――カンナ、大丈夫か?」
オウカは、手を差し伸べる。
「うん、ありがとう。オウカ……ちゃん」
その手を握り、立ち上がり――左目の下、左頬から流れる血を拭うカンナ。
「…… ”オウカ” と呼んでくれると、嬉しい」
――戦闘不能に近い状態になった敵兵2名を尻目に――オウカとカンナは、森を往く。
――――国衛隊の正規隊員となったのは、去年。
”冷静沈着・感情の起伏が少なく、無表情”
それが、入隊初日から、大多数の同期生が感じた印象だっただろう。
――侍の家系に生まれた ”侍族” である少年・ヤマトは、長い黒髪を風に なびかせ、深い森を歩いている。
頭部の後ろで束ねられた髪も、歩くたびに揺れる。
左腰には、愛刀・”無鳴” を携えている。
ペアは――いない。
断ったのだ。
――1人が良い、独りが良い。
1人でいた方が自由に戦えるし、独りでいた方が良好な精神状態でいられる。
――――ヤマトは、察知する。
マキさんは、その意向を汲んでくれた。
いや、その方が合理的と判断した……と解釈しよう。
そして その旨を、上陸の前に情報課へと伝えてくれたのだ。
――マキさんは、国衛隊では別の基地所属だ。
しかし、侍族の鍛錬場にも(多忙の合間を縫って)足を運ぶことが月に数回あり、たまに会話もする。
5年前――俺が13歳くらいの時に、国衛隊の新米隊員だったマキさんが初めて、俺と同じ鍛錬場に来た。
お互い顔は知っているが、特に話す気も、必要性も感じなかったので全く話す機会はなかった。
――が、俺が国衛隊の候補生になったという話を聞いたらしく、マキさんは話しかけてくることもあった。
いつも独りでいる俺に、年下の俺に、マキさんは しっかりと礼儀を弁えて接してきてくれた。
話さない日の方が多いが、マキさんが来たら、自然と目を合わせて会釈をしている自分に気づいた。
マキさんとは、話す回数自体は多くないが――深い話ができる。
日ノ国剣術の技術体系の応用性。
侍の精神。
この国の政治の腐敗。
この国の行く末。
シーナ国の日ノ国侵略に加担する売国奴やオールドメディア。
国衛隊のあるべき姿。
――そして、お互いの信念の根源。
俺から聞いといて何だが――信念の根源を話すのは、マキさんからしたら辛かっただろう。
だが、教えてくれた。
俺が聞いて、一拍置いて、教えてくれた。
表情はさほど変わらなかったが、内心は酷く辛かっただろう。
――――ヤマトは、前方へと歩を進める。
一昨日、鍛錬場への入り口で、仁王立ちで俺を待っていたマキさんは、険しい表情で一目散に俺の所に来た。
剣術鍛錬の道着ではなく、マキさんが ”任務の時に好んで使う” と言っていた、迷彩服。
いつもは、”君付け” で 呼ばれていたが……
「明後日の尖閣諸島での任務を指揮する部隊長、マキだ。
私は立場上、私情を挟むことは許されない。その事を肝に銘じる様に。
――ヤマト隊員」
そう言い放ち、足早にその場を後にする マキさんの後ろ姿。
――――ヤマトは、視認する。
そんなん、百も承知だが?
――あれは、マキさん自身が自分に言い聞かせたという意味合いが大きいだろう。
ああいう ”儀式” を経ないと、任務中に……任務に支障をきたす範囲の情が、出てしまうのだろう。
……ああいう 甘さが危なっかしくて、ああいう 情の厚さが 好きな部分でもある。
恋愛感情は――無いが。
――――ヤマトは、右手を日ノ国刀の柄に伸ばす。
今、この状況で考える事ではない……と自覚しつつ、考えてしまう性格だ……と自覚しながら、ゆっくりと息を吐いていく。
精神を、統一していく。
――武器は、腰に携えた刀剣。
飛び道具は、持っていない様だ。
お互いに。
――――ヤマトは、一足一刀の間合いに入る。
その眼前には、腰に携えた鞘から太極剣を抜き……右手で構える、男2名の敵兵の姿があった。
太極剣――シーナ国の剣を持つ敵兵の男2人は、ヤマトを見据える。
――この 日ノ国の少年は、様子見もせずに真っすぐに歩いてくる。
男2人は同時に、その手に握った剣で ”突き” を繰り出す為の構えを取った。
――――?
”何かがおかしい”
腰の左に携えた刀の柄を握っていた筈の、少年の右手が――少年の身体の右側に瞬間移動した様に思えたのだ。
その右手には、刀が握られており、その刀身が光を反射して ギラッと輝いた。
そう気づいた直後、男たちは右手に視線を落とした。
――マジか。
痛みよりも先に、”信じられない” という感情が生まれた。
男たちの右手は、指の数が4本になっていた。
男たちの視界の端。
2つの小さい物体が、空中を飛んでいく。
スプリンクラーの様に回転しながら、赤い液体を巻き散らす。
その物体――2つの親指と共に、鮮血が舞っていた。
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