I-State -侵略国家- 第1話「神国破壊」

 

東洋の島国・日ノ国。

 

世界有数の富と資源を誇る、美しい国。

国民は、永遠の平和を信じた。

夢と希望に満ちた 輝かしい未来を疑わなかった。

 

……だが、永遠の平和など存在しない。

国境を越える悪意が この国を喰い潰す。

平和は終わった。

 

――この国は、侵略されている――

 

 

優しい風が吹いている。

その風が吹き抜ける、大きな自然公園。

その一角に静かにたたずむ大きな樹。

 

その木陰には、銀髪を思わせるアッシュヘアの少女が腰掛けている。

その少女の名は、オウカ。

ボーイッシュなミディアムショートの髪を風になびかせ、遠くにそびえる美しい山を眺めている。

”冷静沈着・感情の起伏が少なく、無表情”

それが、”入隊” 初日から、大多数の ”同期生” が感じた印象だっただろう。

 

「オウカ~」

やや気が抜けたような……

――もとい、柔らかい印象をまとう声が聞こえてくる。

その声の主がいる方向へ目をやると、トコトコと駆け寄ってくる少女。

桜色を思わせるセミロングの髪が特徴的な その少女の名は――

「ふぎゃっ!」

何もないところで見事につまづき、芸術性すら感じさせる美しい転倒と うめき声を披露した その少女の名は、エレナ。

オウカの ”同期生” だ。

(受け身は なぜか異様に上手く、転倒でケガらしいケガをしたこともない)

くすっ、とオウカの口から笑みがこぼれた。

「行こうか」

 

 

――203X年 現在

戦争における銃器類・爆発物などの使用は、非人道的として使用が全面禁止された。

結果として、武器格闘・徒手格闘といった近接格闘術の重要性が極めて高くなった。

それが、この世界の戦争システムである――

 

日ノ国では憲法上の理由から、”軍隊” は存在しない――ことになっている。

従って、オウカが所属する組織は軍隊ではなく専守防衛の部隊『国衛隊』である。

オウカは半年前、国衛隊に候補生として入隊。

エレナは その同期生の1人だ。

 

”正規隊員 昇格試験”

候補生として半年間の訓練を受けたオウカとエレナは、正規隊員に昇格するために試験を受けに来ている。

(無論、この2人以外にも共に訓練を受けた同期生は50人ほどおり、彼らも試験を受ける。)

そして、国衛隊の基地内の体育館に 数百人ほどの”受験生”が集合した。

(全国の数十か所で、同時期に昇格試験が行われる)

その眼前の壇上には バカでかいプロジェクターが設置されている。

周りには、30人ほどの試験官。

四方から聞こえてくる緊張感を感じさせる小さな話し声も、”開始時刻” が近づくにつれ聞こえなくなっていく。

 

カツッ、カツッ……

静寂の中、足音が響き渡る。

足音の主は、壇上の舞台袖から姿を現す。

その女性は、腰まで届く長いポニーテールを揺らしながら壇上の中央へと歩いていき、そして止まる。

 

この試験の責任者であろう その女性は、第一声を発した。

「諸君らの使命は、日ノ国の平和を守ることである」

そして、続けた。

「そのための任務は多岐にわたるが、中でも最重要といえるのが――

日ノ国を ”あの国” の侵略から護ることだ」

具体的な国名を挙げたら、この国のオールドメディアが「差別だ!」などと騒ぎバッシングしてくる。

それに対する配慮だろう。

「――この日ノ国には、他国スパイが多数 潜り込んでいる。

他国から ”スパイ天国” などと、不名誉極まる蔑称で呼ばれ――」

候補生としての座学で何回も聞いた内容だが、特に強調したい内容を改めて説明しているようだ。

 

「――では、試験内容について説明していく」

2日間にわたる試験の内容説明に入った。

1日目は筆記試験。

2日目は組手試験。

(とうぜん事前にも知らされているが、食い違いなどが発生しないように、万全の確認の意味を込めての説明だ。)

つまり、この内容説明の後には、休憩をはさんで筆記試験が行われるのだ。

 

――この試験の責任者であろう女性を見て、オウカは少し危機感を感じていた。

”身のこなし”

いや別に、檀上でアクロバティックで派手な動きをしているわけではない。

どこかのビッグテックのCEOばりにプロジェクターの前を 左へ右へ、歩いているだけだ。

 

――しかし

足音が聞こえない。

発せられる言葉と言葉の間、数秒間の間の静寂。

その間に聞こえてくるはずの足音が、無音なのだ。

(先程の「カツッ、カツッ…」は、候補生たちに自分の登場を印象付ける演出だったのか?)

距離が離れていることもあるが、あそこまで足音がしないものなのか。

 

そして、歩き方。

歩き始める時。
歩いている時。
静止する時。
身体の向きを変える時。

その動きの察知しにくさ。

全身の体幹の安定感。

 

その動きは明らかに精錬された武術家のそれだ……と、ビリビリと伝わってくる。

周りにいる他の試験官とは、明らかに異質だ。

”事前に聞いていた情報”と違う。

――オウカは、冷や汗をかいた。

そして、思考の渦へと飲み込まれていく――

 

「オウカ、休憩だよ~」

エレナの声で現実世界に引き戻され、いつの間にか説明が終わったことに気づいた。

「ああ、すまない。この後は試験開始だな。」

 

休憩中、エレナは複数人の同期生と情報交換をしていた。

オウカは会話に加わらず、スポーツドリンクを飲みながら少し離れたところで耳を傾ける。

どうやらあの責任者は、”忍者族” の一員らしい。

 

オウカは再び、思考の渦へと飲み込まれていく。

――忍者が忍者として不特定多数の前で姿をさらすことは、デメリットが大きすぎる

顔を知られていることは、隠密行動の際に障害になるからだ。

そのリスクを承知で出てきた……。

出てこざるを得なくなった……。

いや、”牽制” の意味もあるのかもしれない――

 

……休憩時間が終わり、体育館に再び集まった受験生たち。

責任者の女性は、宣言する。

「これより、正規隊員 選抜試験を開始する」

 

――1日目、筆記試験を終えたオウカは、とある蕎麦屋そばやに向かう。

とある閑静な住宅街。

路地裏を抜けて数分歩くと、竹が覆い隠すように四方を囲む土地が見える。

竹の中を覗くと、静寂とともに蕎麦屋が姿を現す。

(人目につかない場所にひっそりと佇む、こじんまりとした その蕎麦屋は暖簾も掲げておらず ”常連” 以外には蕎麦屋と認識できないだろう)

店の周りは、砂利に囲まれている。

店の入り口に通じる通路のみに足場となる大きな石があるが、それを踏んでも 音が鳴る。

――店の引き戸を開ける。

中には、3つほどのカウンター席。

そして、長い髪を後ろで束ねた20代半ばの女性――店主がオウカを見据える。

どう見ても繁盛しているようには見えない この店のカウンター席に、腰掛けたオウカ。

 

――オウカは、注文もせず ”報告” を始める。

「予定通り、正規隊員への選抜試験の1日目が終了しました」

店主は、口を開く。

「了解。何か懸念点はある?」

店主は、注文も聞かずに蕎麦を茹で始めている。

「はい。試験2日目……つまり明日の組手試験について」

店主は、右手に持った箸で 蕎麦を かき回している。

オウカは続ける。

「明日に行われる組手試験で ”低く偽った実力” を見抜かれてしまう可能性があります」

 

箸を持つ手が、ピタリと止まる。

オウカの背中に 冷たいものが走る。

やや俯きつつ視線を下に落とし、言葉を続ける。

「……候補生としての訓練中は、合格水準に達する範囲で実力を低く偽ってきました。

ですが、事前に聞いていた情報と、今回の試験の責任者は違いました。

今回の試験の責任者は”忍者族”の一員らしいです。

彼女の身のこなしは紛れもなく強者であり、もし組手で 低く偽った実力より上の相手とあたってしまった場合――」

 

店主は、再び蕎麦をかき混ぜつつも 静かに耳を傾けている。

オウカは続ける。

「幸運を装って勝ったら、私の実力を見抜かれ――失格になる恐れがあります。

また、低く偽った実力のまま 故意に負けた場合も――とうぜん失格になる恐れがあります」

数秒間、沈黙が続いた。

空気が ひどく重く感じる。

 

店主は、ようやく口を開いた。

「――去年以前の試験を受けた者達からの情報によると、試験の責任者に関しては特筆して警戒すべき要素は認められない。

そして、現在も国衛隊の管理職にいる者達からの情報によると、 特筆して警戒すべき情報は来ていない」

オウカは、慎重に言葉を選びながら返答する。

「はい。そのように聞いています。」

店主は言葉を続ける。

「今年の試験から選抜の ”厳格化” が始まった……というだけの問題ではない。

国衛隊の上層部は、”責任者が代わる” という情報を、管理職の一部の人間にしか伝えていない可能性もある。

つまり、内部に対しても警戒が強まっている――」

 

再び 数秒間の沈黙が流れた後、再び店主が口を開く。

「それに関しては、あなたの責任ではない」

ワンクッション置いた後、極めて重い言葉を発する。

「――だが、見抜かれたら、あなたの任務の第一段階すら完了できない。

その場合、あなたの ”正義” の道も閉ざされてしまう。

――理解しているわね?」

言葉の終わりを待たず、オウカの脳裏に忌まわしい記憶がフラッシュバックした。

 

 

――オウカ、母さんの夢はね ―ザザッ―

ホントに甘えん坊だな ―ザザッ―

父さん!どうして母さんを ―ザザッ―

この世の理も知らぬ餓鬼 ―ザザッ―

お前は弱 ―ザザッ― 俺を殺 ―ザザッ―

――ザァッ―――ザザァッ―――――ザザァァッ―――――――

―――――お前を殺す!

 

 

……どれだけ、追憶の旅に出ていたのだろうか?

数秒にも思えるし、数分間にも思える。

 

店主は、何も言わず恐ろしく冷静な目でオウカを見据えている

「――承知しています。

私は、国衛隊における ”将校” の地位を得なければならない……と」

 

その言葉を確認した店主は、かけ蕎麦を出す。

オウカは、箸でつまんだ蕎麦をレンゲに盛った後、音を立てず少しずつ口に運んでいく。

店主は、再び口を開く。

(万が一、他の客が来てしまったら会話を中断せねばならない。

”一寸の光陰こういんは、一寸のかねに等しい” ――有名なことわざだ)

 

「我々の国は、世界第2位の経済大国といわれている。

しかし そのじつ、危機的状況だ。

事は、一刻を争う」

――我々の国の経済は、世界2位だったのは以前の話だ。

現在は急速に悪化し続けている。

店主は続ける。

「軍の同年代において、あなたは五指に入るであろう強さ。

だからこそ、”国衛隊の将校になる” という任務を命令されている。

――絶対に、失敗は許されない」

店主の言葉が、オウカの精神に重くのしかかる。

 

オウカは、一拍置いて口を開く。

「はい。必ず任務を果たします。

――我々の国が崩壊する前に」

 

 

選抜試験2日目。

国衛隊の基地内のグラウンドの端に、昨日と同じく数百人の受験生が集合している。

その眼前には、お立ち台。

校長先生が上に立ち、生徒たちを眠気へといざなう ありがた~い話を聞かせてくれる舞台装置としておなじみの、あの台。

だが……

少なくともこの場において、眠気など感じる者はいないだろう。

試験官の1人が、その上に上がっていく。

――組手試験の開始が宣言された。

 

組手試験に関する説明を受けた後、受験生たちはグラウンドの中心へと目線を移す。

グレーのビニールカーテンで囲まれた ”組手会場” が目に飛び込んでくる。

1つの組手会場の広さは、縦30メートル×横30メートル×高さ3メートル……といったとこだろうか。

それらが、縦×3個、横×3個 並んでおり、合計9個が所狭し と用意されている。

(中央には選抜試験 実施本部の関係者が出入り・待機している。

中央を除く8個が組手会場であり、それぞれ番号が割り振られている。)

――その中で、組手試験が行われる。

 

「じゃあ、お互い頑張ろうぜ!」

どこかイタズラっ子の様な笑みを浮かべながら エレナが突き出した握り拳に、同じく握り拳を合わせるオウカ。

そして、オウカとエレナは別々の組手会場に入る……その前に、別々の指示された待機所に向かった。

安っぽい椅子がズラッと並べられ、そこに受験生たちが座っている。

その前には、大きめの液晶ディスプレイが設置されており、受験番号と組手会場番号 が表示される。

表示された受験生は、速やかに指示された組手会場へと向かうのだ。

 

オウカとエレナが共に訓練した同期生は50人ほどいる。

しかし、組手試験においては 同期生同士が当たらないように配慮されている。

共に訓練を積んできた同期生同士に組手をさせると、相手の負傷や失格を懸念して遠慮してしまう可能性があるからだ。

 

――待機場所では、私語が禁じられている。

静寂。

落ち着かない様子で身体を揺すったり、周りをキョロキョロと見渡す者も複数見受けられる。

椅子に座ったオウカは、精神統一を始める。

目を開いたままの状態で自分の呼吸に意識を向け、静坐瞑想に入っていく――

 

――約15分後、オウカの受験番号が表示された。

オウカは立ち上がり、指示された会場へと向かう。

 

会場への入り口で、長い黒髪の 美しい女性と目が合った。

オウカよりやや背が高い その女性は、気品を感じさせる柔和な笑顔で、会釈をしてきた。

社交辞令で、無表情の会釈を返す。

 

オウカを含む10名が、会場内に集まった。

男8人・女2人。

受験生全体では男女が半々くらいだったが、この会場は男が多い。

 

――会場内は、圧迫感がある。

目測で、縦30メートル×横30メートル×高さ3メートル。

上はグレーの生地で覆われており、青空は見えない。

10名が入るには、狭い。

そして、忍者族の一員である あの女性責任者はいない――

 

■組手試験ルール

・「ARレンズ」装着の上、参加
敵=赤マーカー表示
味方=緑マーカー表示

・赤マーカーが表示された者を、徒手格闘で制圧する

 

□補足情報

・ARレンズ=拡張現実コンタクトレンズ
(候補生の時に支給)

・マーカーは両者に同じ色が表示される
(受験生AのARレンズに、受験生Bに赤マーカー表示
=受験生BのARレンズに、受験生Aに赤マーカー表示)

・視界の外にいる者には、マーカーは表示されない

・国際条約で定められた戦争(国家間の武力衝突)ルールに ほぼ準拠
(※ただし、武器使用は禁止)

 

……実施本部の関係者が出入り・待機している場所から発信される電波をARレンズが受信し、マーカー等が表示される仕組みだ。

中を見渡すと、小型カメラが四方に設置されている。

多分……いや間違いなく、女性責任者たちがモニターで監視しているだろう。

そして、試験官3人が組手会場の端の方に待機している。

(ちなみに、試験官に赤マーカーが表示される…という ありがたくないサプライズは、無い)

 

――ビリビリとした緊張感が、肌を叩く。

10名それぞれが、他の9名全員が視界に入るように位置関係を調整。

自然と、円を描くような陣形になっていく。

 

[組手試験:開始]

ARレンズを通した視界に、文字が浮かび上がった。

――5秒経過。

マーカーは表示されない。

――10秒経過。

マーカーは表示されない。

――20秒経過。

マーカーが一向に表示されないので、受験生の1人が 試験官の1人がいる端の方へと顔を向ける。

「あのぉ、故障して……」

一拍遅れて、その背後にいる受験生が スゥ……と距離をつめ、後頭部めがけて前蹴りを繰り出した。

 

-ガツッ-

鈍い音が響きわたると同時に、蹴られた受験生はよろける。

赤マーカーが表示されたようだ。

蹴られた受験生も体勢を立て直し、応戦する――

 

――オウカのARレンズに、赤マーカーが表示された。

対象者は、10メートルほど前方にいる男だ。

その男の上に、視界の邪魔にならないよう配慮された ”赤い横線(半透明で太く短い)” が引かれている。

(その相手にも、オウカに赤マーカーが表示されている)

相手は、「あのぉ、故障して……」から、そちらの方を見ていたが、慌ててオウカに目線を合わせる。

 

――オウカが本来の実力を出せば、相手が目線を合わせる前に一瞬で間合いを詰めて倒せていた。

だが、低く偽った実力のまま、倒さねばならない。

やれやれ、面倒だな。

 

オウカは、一直線に早足で歩いていく。

相手の全身の筋肉が みるみる硬直していくのが、容易に伝わってくる。

オウカは、さらに間合いを詰めていく。

「あ……あいつの兄貴として……胸を張れる立派な男に……」

相手からボソボソと独り言が聞こえてくるが、オウカは陽動と判断――気にも留めない。

 

ぐっ、と相手の右肩・右腕に さらに力が入り、拳を強く握る。

オウカは、相手の拳撃が届くであろう間合いに入った。

相手は、右の拳を撃たんとばかりに振りかぶる。

 

――こいつなら、一瞬で倒しても不自然ではない、

低く偽った実力は 疑われないためではある。

しかし、ある程度の強さは見せておかないと ”国衛隊で将校の地位を得る” という任務自体を遂行できない。

……ああ、板挟みって辛いものだな。

 

-グチャッ-

相手が右拳を撃とうと振りかぶると同時に、オウカは左の拳を相手の顔面の中央に叩き込んでいた。

相手の体は 海老の逆バージョンの様に のけぞりながら地面に背中から着地し ドゥッ、と音を立てた。

ぴくぴく、と痙攣した相手は、戦闘不能と判断され――赤マーカーが消えた。

数秒後、予め待機していた救護班が組手会場内に入り、そして相手を会場外に搬送していく。

(救護班に赤マーカーが表示されるサプライズは、無い。少なくともこの場において)

 

――大柄の男がオウカの背後に忍び寄る。

そう、彼の目には(ARレンズには)オウカに赤マーカーが表示されている。

(反対に、オウカには彼自体が視界の外にいるので、赤マーカーが表示されない)

 

オウカは背を向けたまま、敵意をもって忍び寄る その男を察知していた。

――さっきのヤツよりは、強そうだな。

ふむ、適度に苦戦してみるか。

 

大柄の男は振りかぶって右の拳を打つ。

狙いは、オウカの後頭部。

その気配を察知し、慌てて振り向く――演技をするオウカ。

(敵が視界に入ると同時に、赤マーカーが表示)

-ゴッ-

かろうじて顔の前に構えた左の掌が、男の右拳を受け止めた。

……のだが、右拳は止まらず 左の掌ごと そのまま顔面に叩きつけられた!

オウカは明らかにフラつき、視点は定まらない。

両手は、かろうじて顔面をガードしようと懸命に努力している、

……少なくとも、そう見える。

 

――男は畳みかける。

男の両脚の筋肉に力が入っていく――

直後、男の全体重を乗せた渾身の右の前蹴りが オウカのガラ空きの腹部へと叩き込まれる!

「ガハァッッ!」

オウカの全身に、前蹴りの衝撃が伝わっていくのが見て取れる。

同時に、オウカの体から絞り出された大きな うめき声が、会場内に響き渡る。

とうぜん男は、この機を逃さない。

男の脳裏には、制圧完了までの道筋が見えている。

そして、勝利を確信した。

あと数発叩き込めば 俺の勝ちだ……と。

 

――男は、認識した。

その目に映る世界が 180° 反転していることを。

え……なんだいコリャ。

酒を浴びるほど飲んだのは4日前、さすがに体内からアルコールは抜け……

 

- ダァンッ!-

何かが床に叩きつけられる音が、男の耳に聞こえた。

同時に 男の身体に強い痛みが走る。

 

『化勁』

オウカは、全身を鞭のように柔らかくしならせることで、腹部に叩き込まれた右の前蹴りの衝撃を全身に分散していた。

 

同時に、右の前蹴りを(わざと)食らい後ろへと吹っ飛ばされつつ、右手で男の右脚をつかみ、その筋繊維の流れに逆らわずに捻る。

つまり、蹴りに乗せられた男の全体重、その力の方向をズラした。

バランスを崩した男は、条件反射で左脚で無意識に自ら飛び――

――結果、男の巨躯が軽やかに宙を舞い、回転しながら地面に激しく叩きつけられた――ということだ。

 

「ハァ……ゼハァ……カヒュゥ……」

男の渾身の前蹴りを食らったオウカは、倒れそうになりながらも、根性でなんとか立っている――演技をする。

――オウカは、以前 軍の上官との組手でボディーブローを食らった時のことを思い出している。

そして、その時の自分のリアクションを再現しようとしている。

数年前のことだから うろ覚えだが、確か こんな感じのリアクションをしたなぁ……。

もっとも、その時は地面にブッ倒れて、呼吸も ままならず のたうち回っていたが。

それに比べたら、強めの腹部マッサージといったところか、今の前蹴りは。

 

――さて、地面と濃厚すぎるハグをした男は というと…

「ぐぅ……あああああ」

痛みによる悲鳴――ではない。

痛みを超え、自分を奮い立たせるための雄叫び。

外見に見合うだけのタフネスはあるらしく、平衡感覚も充分に戻っていないにもかかわらず、仁王立ちで組手続行の意思を示した。

(救護班は組手会場内に入ろうとしたが、不要と判断し中央の待機場に戻った)

 

――オウカは、その様子を見て

「私も うかうかしてられないな……!良き好敵手(とも)になれそうだ」

……などと熱血なセリフを放つこともなく――

というか、赤マーカー消滅の確認後は特に気にも留めず、他の受験生たちの動向を注視していた。

 

――長い黒髪の女性。

その美しい顔に、まるで お花畑にいるかのような表情を浮かべて、独り言をつぶやいている。

……独り言が、徐々に早まっていく。

それに呼応するかの様に、目線・顔の角度は上がっていく。

やや上の虚空を仰いでいると突如、独り言が止んだ。

同時に顔は元の角度に……いや、やや俯き加減になり、真顔になった。

 

――中肉中背のツイストパーマの少年。

彼は、(赤マーカーが表示されたであろう)短髪の男と睨み合い、長袖に包まれた両腕をダラッと垂らし 間合いをジリジリと詰めていく。

あと一歩、いや半歩踏み込めば手が届きそうな距離。

 

――少年は、左斜め前の方向、

試験官の1人がいる方をチラッと見て、視線を再び睨み合いに戻す。

――が!

突如 試験官の1人がいる方に再び視線を戻し、必死の形相で声を響かせる。

「え?……なんで この人に向けて そんな危険なモノを!」

反射的に、短髪の男の頭部と上半身が、同じ方向(本人から見て右斜め後ろ)に向けて回転し始める。

――少年の右脚が、弧を描きながら短髪の男の頭部へと飛んでいく。

 

死角から頭部への回し蹴りを食らい、崩れ落ちる短髪の男。

――その光景を見ていたオウカ。

ほう、応用パターンとして ”相手を守るフリして接近、攻撃” というのも ありえるな。

今の状況に当てはめると、

”相手をかばうように、左手を突き出して接近➜右拳で殴る”

…という戦術も可能。

まあ、相手が術中にハマったふりをしていたら、盛大にカウンターを食らうリスクもあるわけだが。

 

――その状況を見ていたのは、オウカだけではない。

他の受験生も同様に見ていた。

そして、試験官たちは何も言わない。

正当な戦術と判断したようだ。

 

――直後、オウカの視界に2つの赤マーカーが表示された。

加えて、1つの緑マーカー。

つまり、”2名vs2名”

緑マーカー つまり味方は、先ほどオウカと戦い地面とハグした大柄の男。

赤線マーカー2つ つまり敵2名は、長い黒髪の女性 と ぽっちゃり体型の男。

大柄の男は、ぽっちゃり体型の男に向かって間合いを詰めつつ、顔面に向けて右の拳を放つ――

 

――その様子を目の端で捉えつつ、

両目を見開きながら鬼気迫る表情で、一直線に5メートルの距離を突進してくる女を迎え撃つべく体勢を変えるオウカ。

-ゴッ-

後ろから、大柄の男が放った拳撃 および それを食らった相手が 奏でる、鈍い音。

それを認識しつつ、オウカは女の体勢が急激に高度を下げていくのを認識。

狙いは、タックル――いや右腕の筋肉に力みが生じていく。

女の体勢は、タックルの高度を維持したまま、左へ旋回する飛行機のように左に傾いていく。

-ブンッ-

左に傾く女からオウカの顔面に向けて繰り出されたのは、充分に体重を乗せて ぶん回す右のフックパンチ。

同時に、左手はオウカの腰に伸びていく――

ふむ、一歩踏み込んでガラ空きの顔面にカウンターをブチ込む――いや、ギリギリで躱してみよう。

-フォッ-

右のフックが空を切る――同時に、オウカの腰には 女の左手があった。

刹那、空を切った右の拳は開かれ――その五指はオウカの右肩を ぐっ、と掴む。

ほう、そうくるか――

 

「フゥッ!」

女の吐息が聞こえるとともに、その左脚が宙を舞い――右脚は一瞬 遅れて地面を蹴る。

女の身体は、反時計周りに回る秒針の様に流麗に――

いや、0.1秒間で180° 逆回転する狂った時計の針の様に、激しく半回転した。

(ものすごく良い位置にきたパス……もとい女の頭部。

反射的に顔面に膝蹴りしそうになるが とりあえず我慢するオウカ。)

 

――女の右ヒザが、12時の方向――オウカの顔面めがけて飛んでいく。

-ガッ- -ドボッ-

2つの音の重奏――

前者は……女の右ヒザと それを防御するオウカの左掌の、衝突音。

後者は……オウカが手加減して放った右拳が、女の みぞおちに食い込んだ音だ。

 

――狂時計の針は、地面へと倒れた。

「グッ……アアァ……ゼハァッ……ッッ!!」

赤マーカーが消滅した女は、先ほどのオウカの演技を遥かに上回るリアリティで苦しむ。

オウカは、大柄の男が意外にしぶとい ぽっちゃり体型の男を気絶させて地面に沈めていく様子、および 双方のマーカー消滅を確認していたが、女に視線を戻す。

ほう、この苦しみ方は勉強になるな。

名女優の誕生に立ち会えた――

いやまあ、演技ではなく本当に苦しんでいるのだが。

(視界の端で、ぽっちゃり体型の男が救護班に運ばれていくのを確認)

――女は、10秒も立たない内に スゥッと 立ち上がり、組手続行の意思を示した。

目は、完全に据わっている。

 

――もう1つの ”2名vs2名” が成立したようだ。

(その中には、先程ツイストパーマの少年に沈められて、約5秒後に気合で立ち上がった短髪の男もいる)

その4名は、少年の戦術を見た後、色々と思案していたのだろう。

短髪の男を筆頭に、各人が渾身の演技を披露していく。

「えっ!試験官さん、それは危ないです!」

「あっ、他の受験生さん、その凶器は なんですか?」

「えっ、武器を支給?早い者勝ち?ラッキー」

複数の役者が誕生して、マヌケ……もといカオスな様相を呈している。

だが、新人役者たちは懸命に努力するも 上手くいかない様子だ。

 

新人役者たち4人は、徐々に無言になっていく。

――候補生として、半年間の訓練を乗り越える時にしていたであろう、精悍な顔つきへと変貌していく。

間合いを詰め、各々の戦いを展開していく。

-ドッ-

-ゴツッ-

-バチィッ!-

候補生として、幾度もの苦難を乗り越えた肉体同士・精神同士が激しくぶつかり合う音が響きわたる。

 

――少年にはマーカーが表示されていないらしく、

腕組みをして、ニタニタと笑いを浮かべる。

「アハハ……慣れてないヤツがやっても無駄だって。

いや、慣れてる俺でも こんなビックリ芸 1回限りだし……。

2回目以降はリスクが増すだけだと、気づくの遅いよ」

 

……性格が悪そうだな。

(いや、性格の悪さを表に出さない様にしているだけで、私も人のことは言えないかもしれないが)

アンタ、他の受験生からムダに反感買うリスクを考えないのか。

いや、どーでもいいな。

 

――少年は続ける。

「はあ……合格したくねーし

組手ルールとか どうでもよくなってきたわ。

……ったく よぉー」

ちょっと黙っててくれないかな、とオウカは心の中でつぶやいた。

――オウカは思考のベクトルを、少年から得た戦術を深掘りしていく方向に切り替える――

 

――数秒後、新人役者を引退した4人の候補生が戦いを続ける最中――

オウカの視界に、赤マーカー2つ・緑マーカー1つ、が出現した。

緑マーカーと共に、髪を振り乱しながら一直線に突進していく女の後ろ姿――狂時計の針。

それを迎え撃つのは赤マーカーの、背が低い男――

突進してくる女の気迫に押されながらも、迎撃の体勢に入る。

 

もう一つの赤マーカーは、オウカの右横10メートル先――ツイストパーマの少年。

オウカは、身体を傾けて少年と対峙した。

少年は ニタニタした表情のまま、ジッとオウカを見据えている。

――少年は、本人から見て左へとスタスタ歩きだす。

それに応じて、オウカは右へと身体を半回転させる。

戦い続ける4人の候補生(現在、マーカー非表示)に背を向ける形になる。

 

オウカは、この少年の戦術とその対応について、既に考えを巡らせていた。

――背後に突如、赤マーカー出現……つまり、新しく敵が出現する可能性もある。

だが 少なくともこの会場内には、背後からオウカが捕捉できない様に接近する力量がある奴はいない。(試験官含め)

まあ、実施本部に警戒されないために あえて弱者を装うやつが万が一いたとして(私の様に)

この場で弱者の装いを捨てるメリットは無いだろう――

この少年の戦術に興味があるし、体感しておけば今後も役に立つはずだ。

よし、この少年の戦術に乗ってみよう。

 

――少年は、左手を腰に当てつつ――右手を すっ、とポケットに入れた。

ぐっ、と何かを握るような そぶりを見せたと同時に、ニタニタは消えた。

右手をポケットに入れたまま、ゆっくり間合いを詰めてくる様子だが――

-スゥアッ-

不意に、そして一気に間合いを詰めてきた。

同時に、左腕を下に ぶんっ、と軽く振り――なにか小さい物を握った そぶりを見せる。

――と同時に、その左腕が天高く振り上げられ――

右の前蹴りが飛んでくる。

オウカは体を左に半回転させつつ―――右へ、つまり 前蹴りを繰り出した少年から見て左側へと、躱す。

 

――!!

背後からオウカに一直線に接近してくる者がいる!

迎撃すべく体勢を変えようとするオウカ――

――少年は、前蹴りを繰り出した右脚が宙に浮いたまま 次の動きに移行する――

満を持してポケットから放たれた右拳……を!

フックパンチの様にブン回し、オウカの顔面を狙う――

 

―――― ”候補生として不自然な強さを隠す”

不測の事態に目を見開いたオウカの思考から、1つの制約事項が一時的に忘却された。

-バチィィッ-

オウカは 右の裏拳で、少年の右の拳を弾き飛ばし――

――そのまま顔面に掌底を叩き込んだ。

-ドッ-

不安定な体勢のまま、掌底を顔面に撃ち抜かれた少年の身体は、面白いくらい勢いよく後ろへと吹っ飛んでいく。

 

同時に、視界の左端――

全速力で接近してくる大柄の男の姿、および 新しく表示された赤線マーカーを確認。

――遅い。

一気に間合いを詰めて――

 

……いや、必要ない。

オウカの左側から、それは全速力で近づいてくる。

――華麗に宙を舞う 美しい両脚が、オウカの視界に入った。

- ドゴォッ!-

大柄の男の頭部の右側に、横一文字に伸びた女の身体。

見事なドロップキックを炸裂させた――狂時計の針。

見開かれた両目を血走らせながら、緑マーカーを従えながら、

大柄の男と仲良く そして勢いよく、オウカの視界の右側へとフェードアウトしていく。

 

左回転の勢いを持続させるオウカ。

オウカの視界に入るのは――

力尽きて横たわる背の低い男(赤マーカー消滅)と、精悍な顔つきで闘う4人。

そして、再び視界に入る3メートル先の少年の姿。

この時点で、オウカが少年の顔面を撃ち抜いてから 0.2秒が経過。

 

――0.3秒経過。

後ろへ吹っ飛んで行く少年の眼前――にオウカはいた。

先程の 体重を乗せなかった掌底と違い、全体重を乗せた右の突きを少年の顔面へと放つ――

 

”候補生として不自然な強さを隠す”

――オウカの思考に1つの制約事項が想起された。

同時に右の突きを中断。

反動で、右拳に乗せられていた全体重がオウカの全身へと移行――推進力となって全身が加速してしまう。

左足で踏ん張って勢いを止め――

間に合わない!

 

-ガドォッ-

なんとも不細工なショルダータックルが成立。

両者の身体が宙を舞い――そのまま地面に叩きつけられた。

-ダァン- -ダァン-

同時に左側から、ドロップキックで吹っ飛んでいった2名が同様に叩きつけられた音が響く。

痛々しい二重奏――

 

――オウカは、前進の勢い余って少年よりも遠くまで飛んでしまったため、少年との位置関係が逆転した。

体温で物理的に熱い2組のカップルたちは、すぐに起き上がろうと努力する。

オウカは反射的に、間髪入れず立ち上がった!

……が、平衡感覚が戻らず千鳥足……の演技。

少年が、立ち上がるのに苦労しているからだ。

辻褄合わせの為、接戦を装わなくてはいけない。

 

――右斜め前から、殴打音が断続的に聞こえてくる。

視線をそちらに移すと、長い黒髪を揺らしながら馬乗りで大柄の男を殴る、女の姿。

 

――再び、視線を正面に戻す。

その後ろで、精悍な顔つきで戦い続ける4人の候補生たち

……その上に、赤マーカー2つ・緑マーカー2つ、が表示されたからだ。

加えて、その光景を遮るかのように、少年が ぜえぜえ…と肩で息をしながら立ち上がったから。

オウカの裏拳を食らった その右手は、赤く腫れあがっている。

 

再び相対する2人。

少年は、呼吸を整えながらオウカから見て右側へと歩き出す。

 

――BGMが鳴り響く。

女が奏でる、一方的な殴打音……精悍なる4人の候補生たちの、息切れした呼吸音……。

協奏曲の中――

否。

狂想曲の中、社交ダンスでも始めるかのように……いや、それよりも大分大きく ぐるり、と迂回する少年。

(大柄の男の赤マーカー消滅を、視界の端に確認)

 

”精悍なる4人を、オウカの視界から外す”

その意図が、あからさまに伝わってくる。

ジリジリ、と間合いを詰めはじめる少年。

 

――狂騒曲は、最終段階に突入。

なおも続く激しい殴打音と、女を制止する試験官たちの声……が会場内を包み込む。

それに華を添える様に、力尽きて崩れ落ちていく精悍なる4人。

 

――瞬間、

少年は、視線を覆い隠す様に左手を構えてオウカの後ろに視線を送る。

同時に、右手を意味ありげなハンドサインに――

 

「ガハッ……!」

オウカは、体勢を沈めながら両手で脇腹を抱え悶絶する――演技をした。

両脚は、わかりやすくフラついている。

 

――フィナーレの時。

白目を剝きながら 試験官に絞め落とされゆく女の、断末魔の叫びが響きわたる――

 

――瞬間、

少年は一直線にオウカへの接近を開始。

苦悶の表情を浮かべるオウカの顔へと、全身全霊の右の突きを放つ。

――!?

……あれ、まるで蜃気楼の様な――

 

-グチャアッ-

少年の右拳は オウカの顔面をすり抜けるかのように空を切り、代わりにオウカの右拳が少年の顔にメリ込んでいた。

少年の鼻の穴から勢いよく放出された鮮血が、オウカの拳を赤く染める。

――少年は、ヒザから崩れ落ちていく。

 

――味方が敵に。

敵が味方に、と思ったらまた敵に。

そして、敵であり続ける敵。

まるで、世界の縮図――

 

[組手試験:終了]

ARレンズに表示された。

続けて、[グラウンドに戻り、待機せよ]の表示が。

だが、オウカは動けなかった。

 

――背筋が凍った。

崩れ落ちた少年の向こう側に――あの女性責任者の姿があったからだ。

いつの間にか そこにいた彼女は、オウカを じっ……と見据えている。

目が合ってしまった――

 

――全身から汗が噴き出したオウカは、ぎこちない会釈をしてみた。

責任者は、微動だにせずオウカを見据えている。

オウカは目を逸らし、グラウンドに向けて歩き出す。

――全身が、ひどく重く、固く感じた。

 

「待て!」

責任者の声に、全身が跳ね上がりそうになるオウカ。

「お前……」

こちらに歩み寄ってくる。

生きた心地がしない――

責任者は、オウカの目の前で止まり……ゆっくりと口を開く。

「拳から出血してるから、手当してもらえ」

 

――夕日が街を照らす頃、再び蕎麦屋。

「国衛隊の正規隊員試験、合格しました」

報告をするオウカ。

(10名の受験生中、オウカが最初に倒した男 および ぽっちゃり体型の男 以外の8名が合格。

エレナも合格)

「了解」

……とだけ返し、蕎麦を茹でる店主。

 

オウカは、憔悴した表情を浮かべる。

――随分と、疲れた。

体力的には余裕のはずだが、精神をかなり消耗した。

精神の消耗は、肉体にも影響を与える。

 

……梅おろし蕎麦を口に運びながら、オウカは内省していた。

”少年の戦術に乗るのは、不要なリスクだったのでは?”

優先順位を見誤り、結論ありきの短絡的な思考……で、割に合わないリスクを負いそうになってしまった。

その事を自戒していた。

 

「……この国には、我々の国からの ”同胞” は 何人くらいいるんですか……?

国家機関や その傘下組織にも、そして国衛隊にも相当な人数がいる……んですよね?」

オウカの質問に対し、店主が口を開く。

「あなたが知る必要はない」

背を向けたまま、続ける。

「自分の任務を全うしなさい」

 

――7分後。

蕎麦屋を後にするオウカ。

その後ろ姿を見送る店主は、どこか憐れむような眼をしている。

 

――客のいない蕎麦屋は、しん……、と静まりかえる。

店主はおもむろに、空中を2回タップする。

ARレンズを通した視界に、仮想ディスプレイと仮想キーボードが浮かび上がる。

蕎麦の材料の発注。

作成した発注書をメールに添付して、送信しようとしている。

 

――送信先は、業者であり ”同胞” だ。

発注書には、暗号文が組み込まれている。

厳重なプロトコルで暗号化された情報。

この国の一般人として生活している同胞を介して、祖国の軍の上層部へと伝わる。

 

蕎麦屋の店主には およそ似つかわしくない表情で、オウカの上官 メイフェイは 送信ボタンを押した。

――暗号文の内容は、次の通りだ。

 

【シーナ国より日ノ国へ 派遣中の諜報員スパイ

 〈オウカ:コードNo.810〉第一段階完了

 ――最終目的:日ノ国侵略】

 

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