I-State -侵略国家- 第2話「最終目的」

 

赤い夜だった。

 

先刻まで その眼に映っていた平和な世界は、一瞬で鮮血に彩られた。

母の愛刀で、母を貫いた父。

突然の惨劇に オウカは現実を受け入れられなかった。

”自覚した悪夢から 抜け出せない”

そんな錯覚を覚えた。

 

満月が放つ光が、朱に染まった世界を照らす。

その光景は、芸術──というには あまりに悪趣味な美しさを湛えている。

身体から心が抜け落ちた。自分が空っぽになった。

父に対する復讐心と殺害衝動が その心身を満たすのは、その数時間後だった。

 

赤い夜を、黄金の月光が照らしていた。

 

 

――自然公園の一角、静かにたたずむ大きな樹の下。

オウカは、トコトコと近寄ってきた野良猫の頭を撫でながら、太陽光を反射してキラキラと輝く湖を眺めている。

 

「Hey!そこの可憐なお嬢さん、俺とお茶しない?」

エレナの声が後ろから聞こえてきた。

振り向きながら、答える。

「そうだな、じゃあ訓練所の売店のコーヒーでも」

国衛隊の正規隊員 選抜試験から、1ヶ月が経過していた。

 

-バシィィッ!-

鈍い音が響き渡る。

正規隊員同士の徒手格闘術の訓練。

その一環――組手訓練。

拳撃。
前蹴り。
肘打ち。
膝蹴り。

組み付き、からの投げ
──からの踏みつけ。

 

多彩な技が繰り出される。

相手の技を臨機応変に捌き、反撃する。

反撃を受けて、体が吹っ飛ぶ。

多くの隊員たちが、休憩をはさみつつ、幾度となく組手をやらされる。

 

――戦闘訓練は、武器格闘術に多くの時間が割かれる。

戦争時は、武器格闘がメインとなるからだ。

徒手格闘術は、基本的には 武器破壊・武器奪取された後に行使する技術なので、訓練時間は比較的少ない。

そして、徒手格闘訓練の中でも組手は、月に数回しかやらない。

 

今日は、その組手が行われている。

”ARレンズに赤マーカーが表示された者を、制圧する”

選抜試験でやった組手試験と 大体同じルールだ。

(ただ、ケガをすると訓練に響くので、

拳にはオープンフィンガーグローブ、頭部には視界を遮らないヘッドギア、胴体にはプロテクター、脛ガード着用)

 

――組手訓練、開始。

組手は、ローテーションで行われる。

組手訓練は 自分が闘うのはもちろん、他人の闘いを観るのも学びになる。

他者の長所は、自分の学びになる。

そして、他者の短所もまた、自分の、学びになる。

……例えば、相手に接近する際 踏み込みの足が力んだり 体軸が傾いたら、容易に察知されてしまう。

そのような短所を反面教師として自分に戒める、それはとても有効な学びだ。

 

組手訓練では、敵=赤マーカー・味方=緑マーカー、が表示される。

一方、休憩がてら見ている者には代わりに、対象者の頭上に[組手中](赤 または 緑)と表示される。

表示の色分けは、”誰と誰が敵同士なのか” を、休憩中の者にも わかりやすくする目的だ。

 

……しばらくしていると、エレナが立ち上がった。

エレナの組手だ。

 

お互いが視界に入る陣形――円形に広がる8名の隊員たち。

――12秒経過

エレナの視界。

左斜め前6メートル先にいる男の頭上に、赤マーカーが浮かび上がった。

-ダンッ-

地面を蹴る音を響かせ、女性の隊員がエレナに接近する。

同時に、エレナは女性の方に身体を回転させ、女性と正対した。

――女性は一旦静止、腰を高くアップライトに構え直した。

前に出した左脚でフェイントを掛けながら、じわじわ、と間合いを詰めていく。

パンチがギリギリで届かない間合いだ。

 

――女性の上半身が右回転を始めた。

その直後、上半身の回転力を左脚に移行――その左脚が跳ね上がった。

-ブンッ-

風を切る音と共に、その左脚はエレナの胴体に一直線に向かっていく。

――エレナは、女性の上半身が回転を始めると ほぼ同時に、前に踏み込んでいた。

-トッ-

踏み込みで芯を外された蹴りが、エレナの右前腕に防御され、気の抜けた衝突音を発した。

女性の左回し蹴りは失敗。

――したのではない!

誘い込まれた。

エレナの踏み込みに呼応するかの様に、相手は左拳をエレナの顔面に撃ち――。

 

-バシィィ!-

左拳が、相手の顔面――厳密には、相手の付けたヘッドギア、を撃ち抜く音が響く。

相手は仰向けに倒れ、赤マーカーが消滅。

その光景を立ちながら見下ろすのは――

女性の左拳を躱し、同じく左拳でのカウンターを決めた、エレナ。

 

――エレナの組手を見ていたオウカ。

エレナの表情は、普段の ふにゃっ とした印象と違い、真剣そのものだった。

 

他の隊員たちが闘う音が響く。

そして――再び、エレナの組手が始まる。

右の真横、4メートル先にいる男に、赤マーカーが表示された様だ。

男は、ゆっくりとエレナの方を向く……と同時に、エレナに向かって歩き出す。

エレナも、ほぼ同時に 男に向かって歩き出す。

 

男は、右脚をやや大きく前に出しながら、左腕にパンチの予備動作――

フェイント。

右手がエレナの襟元を掴んだ。

と 同時に右足が地面に着き、背負い投げに移行する

「せあっ!」

 

――オウカは、エレナの動きの一部始終を見ていた。

男が背負い投げに移行するために体を左半転させる動きに逆らわず、自ら そちらに動き始めるエレナ。

いつの間にか、その左手は 男の右手首を柔らかく掴み――加えて、エレナの右手は 相手の右肘の内側に そっと添えられている。

同時に、相手に全体重を預けるかの様に、エレナの身体は左回転しながら――前のめりに地面へと倒れていく。

不意に――ずしん、と右半身のみの重力が数倍に跳ね上がった……。

そんな錯覚が、男を襲った。

 

――男の右半身に全体重を預けつつ、ほぼ真横になったエレナの身体は、左回転を継続する。

同時にエレナは自身の右手を介し、背負い投げの体勢に入ろうとする男の右肘の内側に――”全体重×落下スピード×回転力=驚異的な重さ” という荷重を与えた。

男の右半身にかかる重力が、更に跳ね上がっていく。

右脚で踏ん張ろうにも 上半身が右側に傾いてしまっており、踏ん張るには体勢が不十分――

 

-ズチャッ!-

地面に顔面から叩きつけられた男は、不細工な逆立ちをしている様な格好になり――直後に 全身が地面に叩きつけられ、これまた大きな音を立てた。

両者が地面に倒れたままの状態――

――間髪入れず エレナの左手は男の右手を小手返しの状態に極め、右手は相手の頭部を固定――右の膝蹴りを叩き込んだ!

びくんっ! と男の身体が硬直した後、だらんっ……と全身から力が抜けた。

――直後、エレナは立ち上がりながら 赤マーカーの消滅を確認したようだ。

 

その数秒後、男はおぼつかない足取りで立ち上がる……。

ヘッドギアを付けていても、相当な衝撃が男の頭部を襲ったに違いない。

気を失ってはいないが、意識が朦朧としている様子だ。

「オレの動き……に対する相手の動きに、もっと素早く反応し……右脚を外側に出せていれば……踏ん張れた……かも……」

男は、意識が戻ってくると同時に思考している。

自然と口に出ており、独り言を呟いている。

「いや そもそも……パンチも警戒に値する威力・速度がなければ 意味は薄れる……いや……努力量は有限……量を増やし 質を上げ……何かを得るには、何かを捨てなきゃ……」

……まずは、意識を整える事を優先すべきでは?……という突っ込みはさておき、

正規隊員としての矜持が、その身体から醸し出されていた。

 

――エレナの組手を見ていたオウカ。

徒手格闘の実力は、新米隊員としては中の上くらいか。

エレナは少女として平均的な体格と体重。

スピードやパワーは普通に思えるが、体幹の安定感・身体の深奥まで届く脱力は、特筆すべきものがある。

日ノ国舞踊を習っていたらしいので、その経験が活きている様だ。

(私もカモフラージュのために、祖国・シーナで日ノ国舞踊を少し習った。)

私の低く偽った実力と同じくらいか、少しだけ上……くらいか。

エレナの実力も少しずつ向上しているし、私もそれに合わせて すこしずつ実力を解放していこう。

 

そんなことを考えていると、ARレンズを通した視界に表示が。

[組手訓練:開始]

オウカは、自分の番が来たので立ち上がった。

――さてと、他国との武力衝突……つまり戦争が起こる兆候もない、つまり戦果を挙げる機会もないことだし、

”少しずつ潜在能力を開花させていく” という体で強さを解放、いずれは同年代のトップに近い位置を得るとするか。

……今週は、勝率7割強くらいでいくかな。

なぜなら――現在のエレナの勝率が、そのくらいだから。

 

 

――午後からは、武器術訓練が行われる。

武器格闘術の教官は、その半数近くが ”忍者族” の一員と言われている。

 

――忍者族。

複数の忍術流派・数万人とも言われる忍者たちで構成される。

血縁者・配偶者以外は関与を許されない秘密主義。

 

その活動は、情報収集・破壊工作・暗殺・偵察・治安維持……など多岐にわたる。

殆どの忍者は、表には出てこない。

(忍者であることを隠して表に出てくる者は、とうぜん いるだろう)

そして、前線に出る忍者は かなり少数派だ。

 

徹底した秘密主義の一族だが、

忍者族が受け継いできた多種多様で膨大な技術の内の一つ 武器術は、知識としては既に世に知られている。

その実戦性・多様性から隊員の必須教練となっており、忍者 または忍者と噂される者が指導することが多い。

まあ、忍者族からしたら 受け継いできた技術全体の極一部にすぎないが。

(ちなみにオウカは、メイン武器として ”日ノ国刀” を好む。

”日ノ国剣術” を必須教練として受けたうえで、選択教練としても受けている)

 

――本日 最後の教練、武器術訓練が終了。

速やかに帰宅する者もいるし、そのまま ここに残って自主練する者たちもいる。

徒手格闘術を訓練する者たちも見受けられる。

そんな中、黄色い声が響く。

「棒手裏剣っていいよね~。手甲が軽量の革製でも、挿しとけば ある程度の斬撃は腕で防げるし、ラメ入れたらカワイイ!」

……などと、女子の会話が聞こえてくる。

(とうぜん訓練時は光を反射しないマット仕様品が使用されるが、自主練用にラメ加工した自前の品は黙認はされている。)

まあ、鉛筆みたいな形状の棒手裏剣は かさばらず持ち運びやすいし、サブ武器として人気がある。

次いで、折り畳み十字手裏剣も人気がある。

(バネ板内蔵、棒手裏剣に近いコンパクトさで、使用時にはワンタッチでお馴染みの形状に広がる。

戦国時代には発明されてたらしい。すごいな。)

 

……そんな光景を横目に、本日の清掃当番であるオウカは黙々と清掃を続ける。

「オウカ……ちゃんって、エレナと仲良いね!二人は、いつから友達なの?」

”侍族” から剣術を教わっている同年代の少女・カンナにそんなことを聞かれた。

「ああ、候補生の時からだよ。」

色々と考え事をしたいが、話しかけられたらコミュニケーションは取らねば。

……ああ、正直めんどくさい。

 

――友達。

オウカには、その言葉が酷く空虚に感じられた。

そう呼ばれるモノは、孤独から逃れるための手段として使われる事が大多数だからだ。

 

――独りでいる恐怖から逃れるため、誰でもいいから……と、とりあえず群れる。

しかし、気が合うわけでもないので、徐々にエネルギーを奪い合う関係になっていく。

内心ストレスを蓄積していくが、独りでいる恐怖の方が大きい為、そのストレスから目を逸らして群れ続ける。

3人以上集まると、自分以外の誰かをスケープゴートにするために露骨な足の引っ張り合いが始まる。

もし、群れの中でスケープゴートが決まらなかったら、外部にスケープゴートを求める。

 

――そんな連中からは、距離を置くに限る。

まあ、そんな連中でなくとも 私は自然と他者と距離を置く。

独りの時間は、自分と深く向き合うため、自分を効率的に高めるために不可欠なのだから。

 

最初、独りでいる私に舐めた態度で接してきた後、私が強いと理解した途端に礼儀を弁えてくるヤツはいる。

だが、そういうヤツは金輪際 信用しない。

祖国・シーナ国の軍にいたときは実力を隠す必要もなかったので、そういうヤツを何度か見てきた。

(まあ、ここでは向上心がある人間が多いので、だいぶマシではある。)

 

だが、エレナは私が強いと知らないだろう。

強くもない私に、接してくる。

他の人間とも仲良くなれるコミュ力を持った上で、私に接してきてくれる。

空虚さも感じない。

選抜試験に落ちて泣いていた同期生を励まして、来年度の再挑戦を促したりする。

(その際、優越感に浸るような歪んだ感情なども感じない)

それに対して、良い感情を抱くと共に……複雑な感情も抱いている。

 

私がスパイであるという事実――それを隠している。

将校の地位を得て ”司令部” に入り、この国衛隊の機密情報を得るために、

――私は、エレナを騙している。

 

――そんなことを考えながら、オウカは エレナと共に蕎麦屋にいた。

「梅おろし蕎麦って、おいしいね」

エレナは、微笑みながらオウカに話しかける。

エレナは、たまにオウカと一緒に蕎麦屋に行くのだ。

(エレナの故郷では、蕎麦の生産が盛んとの事)

 

店主でありオウカの上官でもあるメイフェイは、

”友達として交流するのは、周りの信用を得るため、情報収集のために必要”

”彼女は忍者族ではないから、スパイとバレる心配はない。警戒コスト使わずに済む”

……という理由で、肯定的だ。

 

エレナは忍者族ではない、というのは どうやって調べたのだろう?

……と思ったが、スパイ対策がガバガバなこの国だ。

国家機関に潜り込んだ同胞たちが、容易に調べてしまうのだろう。

 

そして、メイフェイからは

「友達といるのは ”手段” であり、目的は ”日ノ国侵略” だ」

……と、何度も念を押されている。

 

――蕎麦屋を後にし、さっき通った道を戻る2人。

さっきは無かった、道路工事の看板が。

仕方なく、いつもと違う帰り道を選ぶ。

寂れた裏通りを歩いていく。

 

……ふと、異様な光景が視界に飛び込んできた。

とある不動産屋から、覆面を被った2人組と……拘束された女性が飛び出してきたのだ。

1名は、人質となった女性の首を左腕で固定し、右手でナイフを喉元に突きつけている。

(もう1名も、同じくナイフを持っている。)

女性は、悲鳴を上げながら助けを求める。

続いて、不動産屋の主人らしき男性が飛び出してくる。

「待ってくれ!娘を解放してくれ。金なら払う!」

 

――オウカは、空中を2回タップ。

ARレンズを通したオウカの視界に、仮想ディスプレイと仮想キーボードが出現。

空中で仮想キーボードをタイピングし、文章を打ち込んでいく。

[<緊急>賊2名が女性1名を人質にして金銭を要求。伝令を待つ]

送信。

このメッセージは、国衛隊の支給品でありWi-Fiマイコンであるベルト(厳密には ベルトのバックル)がARレンズとインターネット間を中継、

自動暗号化された上で国衛隊に送信される。

(GPS機能もついており、24時間 国衛隊に位置を把握される)

 

主人は続ける。

「店にそんな大金は無い。後から必ず払う。だから娘を解放してくれ!」

2人組の賊は、淡々とした口調で言葉を放つ。

「ダメだ。10分以内に要求額を用意しろ。できないなら、この場で殺す」

 

──平時の武器の携帯は、禁止されている。

つまり、手段は徒手格闘のみ……ではない。

この状況で使える武器……飛び道具が望ましい。

――道に転がっている小さな石。

 

「おい、そこの餓鬼!お前がこっちに来い!断るなら、こいつの喉を掻っ捌く!」

エレナを指差して、賊の1人が叫ぶ。

先程と打って変わって、声を荒げている。

――なんか、妙だ。

 

――エレナは、オウカに目配せをしながら 賊2名の方へ向かって歩き出す。

つまり、エレナが隙を作り その機に乗じて賊2名を制圧する、という意思の疎通――

 

――ガッ、という音。

賊の内の1名が、何かをエレナの足元に投げてよこしたのだ。

手錠。

チェーンはなく、左と右の部分が直接 繋がっているタイプ。

両手の可動域が、通常の手錠よりも更に狭まる。

賊2名を制圧する難易度が増す。

――何かが、引っかかる。

 

エレナは、時間稼ぎをする。

「え……これ……どうすればいいんですか?使い方が、わかりません……」

苛立ちながら、口頭で命令してくる賊の1人。

エレナは、わざとモタついて更に時間を稼ぐ。

 

騒ぎを聞きつけて、数少ない通行人たちが集まってきた。

――オウカの横に、蕎麦屋の店主が 立っていた。

「あ……」

気づいたオウカは、情けない声を出しながらそちらを見る。

じっ、とオウカを見据える店主の目が 何を伝えたいのかは、すぐに理解した。

”エレナ救出の為に、真の実力を出す事は許さない”

 

店主は、数秒間オウカの目を見据えた後、オウカから目を逸らし――数歩前に進んだ。

2人の賊は、そちらに視線を移す。

「その子は、国衛隊の正規隊員よ。人質なら ただの民間人の私の方が安心でしょ。

――あなたたちの目的が、お金であるなら。」

――オウカが感じていた引っかかりが、明確な違和感となった。

人質と赤の他人である通行人が、身代金を払ってくれるはずもない。

なのに何故、賊2名は不動産屋の店内から わざわざ出てきたのか?

 

――賊たちは、10秒間ほど考えた後その申し出を承諾。

――店主は、自らの両手首に手錠を装着した上で、賊2名に捕らえられた。

賊の1名に、左腕で首をロックされ、その喉元にナイフを突きつけられる形となった。

 

――人質になる事から解放されたエレナは、神妙な面持ちでオウカの元に駆け寄る。

「ぐすっ……ふえぇ……」

オウカに泣きついて崩れ落ちる――演技をしている。

オウカはエレナを抱きしめながら、小声でエレナとの意思疎通を始めた――

 

「おら、とっとと金持ってこい!」

賊の1人が、不動産屋の主人に向かって叫ぶ。

 

――国衛隊の上層部から直々に伝令が来た。

[<緊急>直ちに増援を向かわせるが、間に合わない。2人で制圧せよ]

”2人で制圧せよ” という命令。

言質を取った……と解釈しよう。

自称・人権団体から、加害者の人権の為に 善良な市民を危険に晒すことを厭わないアホグループから、意味不明な文句を言われた際の防波堤には なってくれるだろう。

……多分。

 

――16秒後、オウカとエレナは動き出した。

泣き崩れている演技をしていたエレナは、駆け出しながら 小石を その右手に掴み――

店主の喉元に向けられているナイフ――を握っている右手の甲に向けて、放った。

オウカは、賊たちがエレナに動きに気を取られた虚を突き 走り出し、賊たちとの距離を詰めていく。

-ガツッ-

賊の内の1名は、右手の甲を――骨折。

鈍い音が響くと共に、ナイフは宙を舞う。

「チィッ!」

舌打ちする賊の眼前に、既にオウカの姿があった。

――大丈夫だ、低く偽った実力で行ける――

 

-カチャッ-

男の右手は 掌底のような形を取り、同時に右手首から新たなナイフが姿を現した。

隠し武器――

-ブンッ-

オウカの顔面に向かって、そのナイフを振る。

オウカは、反射的に実力を出す――必要は、なくなった。

 

――ナイフが、オウカに届かない。

オウカの顔面が、男から急速に離れていく。

男は、事態が呑み込めない。

……え、なんで?まるで、世界が倒れていく様な……。

がすっ、という鈍い音と共に、男の意識から世界が消失した。

――蕎麦屋の店主が、後ろによろけて それに押されて男が後ろに転倒した……という体裁で、

男の後頭部を地面に叩きつけ、失神させたのだ。

 

-ドッ-

その横で、エレナは賊の1人の睾丸を蹴り上げた。

男は、目を見開き 声にならない声を上げながら、次々と糸が切れていくマリオネットの様に奇妙なダンスを踊り――その場に崩れ落ちる。

エレナは 間髪入れず、仰向けに倒れた男のナイフを握ったままの右手首に、体重を乗せた右脚のかかとを落とした。

男の悲鳴が響き渡る。

 

――決着。

不動産屋の主人が持ってきたガムテープで、賊2人が ぐるぐる巻きにされていく。

(賊2名が所持していたナイフは全て、押すと引っ込むマジックナイフだった)

その様子を、We TubeやTwittelなどのSNSに上げるべく撮影する者たちが、ARレンズ対応型Wi-Fiマイコンを向けて取り囲む。

(一般には、装飾品型のWi-Fiマイコンが販売されている。カメラ機能付きのもある。

※ARレンズでの撮影は、撮影者の視界が 撮影方向に固定されてしまい大変危険なので、できない仕様。盗撮防止の意味もある)

 

――そして、冷静な目でオウカとエレナを見ている数名の者たちもいる。

蕎麦屋の店主は、狼狽えて 落ち着きなく周りを見渡す……フリをしながら、その者たちの顔を記憶していく――

 

 

――その様子を、近くの雑居ビルの屋上から見ている2人の男。

後輩らしき男は、双眼鏡を置いて缶コーヒーを手に取りながら、言葉を続ける。

「こないだの選抜試験の責任者のハツメさんが、オウカってのを要警戒リストに加えたんですよね」

「ああ、組手試験中のモニター監視時、コタロウとの組手に一瞬の違和感を感じたらしい」

――先輩らしき男は、鉄扇を懐から取り出しながら、そう答えた。

 

言葉を続ける。

「終了後に心理的に揺さぶってみたら、更に違和感が強まったらしい。

”恐車の術” と ”楽車の術” の応用――つまり、プレッシャーかけた直後に安堵させても その感情を一切 出さない。

逆に不自然だと」

――先輩らしき男は、そう言いながら鉄扇の柄の部分を引っ張る。

 

「コタロウは、ブラフをかける事ばかり意識して、相手がブラフかけることへの意識が弱すぎる……と試験官も言ってましたね。

覚えたモノを使いたがる……気持ちはわかるが、忍者族内の組手でも、複雑な事ばかりやりたがる。

シンプルさも織り交ぜての緩急も教えなきゃ。

頭で考えずできるようになれば、相手が仕掛けてくるブラフの看破に意識を回せるし」

 

――鉄扇の柄部分から、銀色に輝く刃が姿を現す。

短剣。

暗器・仕込み鉄扇。

刃の部分を、布で磨きはじめる。

「チャンスは一瞬。慎重になりすぎるとチャンス自体を失う。

即座に掴みに行くことは重要だが、ブラフであるリスクも考慮したうえで、虎穴に入る。

……という事もな」

「つーかコタロウ、礼儀正しくて真面目ですよねぇ。

それが裏目に出て、性格悪い演技は 加減がわからず過剰になりがちじゃないすかね」

うなづく男。

 

数秒間の沈黙の後、再び口を開く。

「罪人との司法取引、忍者族内の重大なルール違反者への罰則……として、賊のフリをさせるとは」

――磨き終わった刃に太陽光を反射させ、短剣を水平に構える。

「緊急要員も野次馬の中に複数待機させなきゃいけねーし、いろんなトコに事前許可もらわなきゃだし、スパイ被疑者一人にめっちゃコストかかるわ」

 

――水平に構えた短剣を、銀色の刃を――断頭台のように、真下に落とす。

「──スパイ阻止法が あれば、こんな面倒なことしないで済むのに」

神妙な面持ちを浮かべた後、肩をすくめながら口を開く。

「……無能な味方より、味方の地位を得た有能な敵 のが遥かに怖いっすね」

 

――短刀を鉄扇に仕舞い その鉄扇を広げると、日ノ国の象徴である日章が姿を現した。

「――ま、オウカとやらに関しては ”保留” と。

”問題なし” と判断したら、万が一スパイだったら俺らが責任追及されるからな。

引き続き、他の忍者に監視されてもらおう」

 

――国衛隊の増援および警察が到着。

蕎麦屋の店主は、手錠を外される。

エレナは店主を案じる。

「ありがとうございます!大丈夫でしたか?」

店主は、優しくほほ笑む。

「大丈夫よ」

 

――蕎麦屋からこの場所までは、数百メートル離れている。

途中の道は、とうぜん一本道ではない

見えないし、騒ぎが聞こえる距離でもない。

なのに、蕎麦屋を空けてまで、騒ぎが起こった数分後に この場所に来た。

……つまり、シーナ国のスパイが通行人……野次馬の中にも少なくとも一人はいた。

――私は、常に監視されている――?

 

エレナと店主は、会話を続ける。

「お醤油が切れて、買い出しで偶然通りかかったら こんな状況だもの。驚いたわ」

嘘だ。

野次馬の中のスパイから、緊急連絡があったから ここに来たんだ。

 

「でも、エレナちゃん、凄いわ。

あんな遠くから、石を投げて男のナイフを持った手の甲を骨折させるんだもの」

嘘だ。

あの大きさの石・あの速度の投擲では、骨折させる事・ナイフを宙に舞わせる事は……難しい。

石が当たる刹那、あなたがあの男に悟られずに瞬間的に前進して、石と 手の甲の衝突速度――つまり衝撃力を飛躍的に高めた結果に過ぎない。

 

「私も本当に怖かったけど、二人を守りたいから勇気を出したのよ」

──嘘だ!

両手を拘束されたエレナを人質に取られて動揺した私が、実力を出したら一気に警戒される。

それを防いだだけだ。

あなたがその気になれば、あの男の体は一瞬で宙を舞って頭から地面に叩きつけられ、絶命していた。

 

――あなたは、シーナ国軍で5本の指に入る女兵士・メイフェイ。

私と同じスパイである……と同時に、私の監視役でもあるだろう。

私が私情に流されて、重大なヘマを踏むようなことがあれば、その時は──。

 

店主は、オウカに視線を合わせる。

「――気を付けてね」

瞬間、深海の暗闇に引きずり込まれたような圧力を感じた。

警告だ。

”絶対に、実力・素性がバレないように気を付けてね”

――という、警告。

 

 

――後日、オウカの元にメールが送られてきた。

[平素は格別のお引き立てを賜り、誠にありがとうございます――]

差出人は、蕎麦屋の店主だ。

クーポン券が添付されている。

――暗号文。

 

オウカは、ARレンズが常時接続しているWi-Fiマイコンである、国衛隊支給のベルトへのアクセスを切断。

シーナ国軍から支給された壁掛け時計型のWi-Fiマイコンに、アクセスし直す。

──暗号文が解読される。

 

[あなたの父親の動向について――

アメルカ国軍、もしくはルーシャ国軍にいる可能性が高い]

オウカの呼吸音が、徐々に荒くなっていく――

 

──もう一文、添えられている

[あなたの正義は、シーナ国の大義の範疇でのみ 許される]

 

──私にとって

シーナ国の大義、日ノ国侵略は――手段に過ぎない。

目的は、正義は――父親への復讐だ。

 

黒い夜を、黄金の月光が照らしていた。

 

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