――先程まで親指が生えていた付け根から、焼ける様な熱さが込み上げて来る。
「ぐぅ……あああああ!」
男たちは激痛の中、理解した。
この少年の居合が、我々には知覚できない速度で、親指を斬り飛ばしたのだ……と。
一振りで、2本同時に!
男たちの4本指の右手から落ちた太極剣が、地面の石に当たり、かしゃん、と音を立てた。
――ヤマトは、激痛に悶える男たちを悠然と見下ろしている。
……弱い。
あれは、シーナ国の武器、太極剣か。
北夕鮮は、シーナ国と韩国に挟まれた立地の国だから、それらの隣国の武器が流入、使用される事が多いのか――
いや今、考える事ではない。
余裕があると、敵の眼前でも すぐに別の事を考えてしまう。
今この瞬間に考えるべきは、この敵兵への対応。
つまり、この任務での合理的な戦術判断だ――
――男たちは、戦力差を瞬時に理解した。
否、理解させられた。理解せざるを得なかった。
同時に、身体を翻し――全力で逃げた!
絶対に勝てない。
――せめて、北夕鮮軍の同胞たちに この少年の危険性を伝えなくては。
少年の追撃に備えて、軍用ナイフを懐から左手で取り出し――後ろを確認する男たち。
――追ってこない?
何故――?
先頭を走る男の首に、ずんっ、と重い衝撃が走ったと思うと……そのまま身体が重くなり、地面に倒れた。
――その後ろを走っていた男は、前を振り返る。
ショートヘアの女――が、自分の首を目掛けて刀を振り下ろし――
ずんっ。
男は、意識を失った。
峰打ち。
「ヤマト隊員、異状は無いか?」
「ありません。マキ部隊長」
――――オウカとカンナは、2人組と戦った後、森の中を10分程歩いていた。
前方の視界は樹々に阻まれているが、頭上の視界は開けており――青い空が見える。
太陽光が、2人を照らす。
オウカは、魚釣島全体のマップを表示した。
自分自身を示すアイコンが、マップ中央に置かれている。
味方を示す緑シグナルは……32個。味方の総数が32名。オウカ自身を加えた33名が、魚釣島にいる国衛隊隊員の総数だ。
敵を示す赤シグナルは……現在 視認中の敵は、11個。味方が現在対峙している敵が11名、という事だ。
加えて、視認履歴(視界から外れた敵も含む)は25個。
……いや、3名の新たな敵兵が味方によって視認されて、視認履歴が28個に増えた。視認された敵兵の総数が、現時点で28名。
この魚釣島にいる敵兵の総数は、現時点で不明。
そして、現在14名の敵と対峙中だ。
さっきオウカ達が倒した2名も、赤シグナルは点灯したままだ、
なぜなら、シグナル・マーカーは、赤・緑ともに、生存者を示すモノであって、戦闘可能の是非を示すモノではないからだ。
カンナは、大分 落ち着いてきたようだ。
オウカが数メートル先を歩き、周りを確認しながら進んでいる。
――敵兵2名を倒した場所から少し離れた後、オウカはカンナに、数分間 休むことを提案した。
「え、じゃあ……1分間だけ。ありがとう。オウカ」と言って、カンナは正座。目を閉じた。
”禅” の状態に入った――
周りからの脅威に完全に無防備になる状態だ。
私に命を預ける行為、と言える。
オウカは、周りを警戒するが――接近してくる者はいない様だ。
……1分後、カンナは少しばかり回復したようで、再び歩き出し――今に至る。
――オウカは、察知した。
深い森の樹々に視界が阻まれ、視認はできないが――約200メートル前方より、3名の人間――敵、がこちらに向かって歩いてくる。
カンナは、少しは回復したとはいえ、精神力はかなり消耗している筈だ。
左手の甲からも、出血は続いている。
戦わせるのは、非常にまずい。
このペアにおける緊急を要する戦局の判断は、成績が相対的に優秀なオウカに託されている。
「カンナ、二手に分かれよう。
ここから北東へ230メートル先に、2個の緑シグナル――2名の味方がいる。そちらに合流してくれ」
「え、うん。……なんで?」
「敵が複数……3名くらい、こちらに向かっている。樹々の間から偶然、一瞬だけチラッと視認できた。」
「……オウカはどうするの?」
「相手を視認、尾行して、魚釣島全体のマップに赤シグナルを表示――つまり、情報を味方に共有する。
――そうすれば、味方を集めて取り囲んで、一斉に叩ける」
カンナは頷き、北へと歩を進めようとする――
――!?
敵兵3名は、こちらに ”一直線に” 向かってきている。
どこに敵が潜んでいるかわからない、森の中なのに……。
一切の迷いなく向かってくる!
ふと、オウカは、視線を上げた。
澄みわたる様な、平和な青空が広がる景色から、”それ” は姿を現した。
――距離は、ざっと400メートルほど先だろうか。
高さ30メートル近い巨大な樹が、悠然とそびえている。
目を凝らすと、その樹の上に双眼鏡らしき物で こちらを見ている人間が、2人。
その頭上に、2つの赤マーカーが表示された。
――敵も、同じ事を考えていた。
”敵を発見し、仲間に場所を伝える”――という事を。
「カンナ、作戦変更。敵にバレてる。私も一緒に行く」
カンナは、少しだけ目を見開いた後、無言で頷いた。
――およそ150メートル先にいる敵兵3名が、接近する速度を上げた。
それを察知したオウカが、ふと そちらに目を凝らすと――
樹々の隙間から、赤マーカーが表示された敵兵の1人が小走りで接近してくるのを、肉眼で捉えた。
「――いやダメだ!二手に分かれて、追っ手を撒く」
臨機応変に対応――というより、指示が二転三転している――というべきか。
従う側が混乱する様な言い方だ、と自分で思った。
我ながら、人に指示する立場は苦手だ。
――カンナがふと敵兵たちがいる方向に目をやり、一気に緊張度が増すのを感じた。
足場が悪い森の中、しかも斜面になっているところが多いのに、どんどん接近してくる。
身のこなしから見て、さっきの2人組よりは、この3名は格上だろう。
「カンナは、さっき伝えた通り、北東230メートル先の2名の味方に合流してくれ」
――敵との距離は、100メートルもなくなっていた。
”オウカは、どの方角へ行くの?”
……そう聞きたい衝動を、カンナは自制した。
その質問に答えさせる時間と思考力を、オウカから奪ってはいけない。
一刻を争う、いやそんな悠長な状況ではない。一秒を争う状況だ!
「わかった」
カンナは、一言だけ口にして――北東に向かって走り出した。
――数秒後、カンナは ふと振り返った。
どこかに向かって走り出しもせず、その場に立ち続けて自分を見送るオウカの姿が、目に入った。
”オウカは、なぜ走り出さないの?”
立ち止まって、そう聞きたい衝動を、カンナは自制した。
「──ここは任せて、先に行け」
そんなオウカの言葉が、小さく聞こえたような気がした。
――”ここは任せて、先に行け”
死亡フラグ って言うんだっけ?こーいうの。この国では。
そんな呑気な考えが、オウカの脳裏をよぎった。
――オウカは、敵兵3名が手頃な距離、キャッチボールをするよりも やや遠いくらいの距離に近づいた時に そちらを見て、ぎょっ、とした表情を浮かべた。
”今、この瞬間。あなたがたの接近に ようやく気づきました”
……といわんばかりの演技。
そして、カンナとは逆の方向へと、敵兵たちより やや遅い速度で、走り出した。
――――その少年は、息を殺している。
その視線の前方には――敵兵3名の姿。
敵兵3名は、こちらに気付いていない。
茂みの中に身を潜める、短くスポーティな黒髪の少年・カズマの視界には、当然ながら赤マーカーが表示され――その情報は味方に共有されている。
しかし、あの3名は自分が発見すべきターゲットではない。
カズマは細心の注意を払いながら、音を立てない様に――後ろへと後ずさりする。
――!!
背後から、何者かが近づいてくる!
即座に振り向きつつ、右腰のホルスターから苦無を取り出し、構えた!
「めええええ~」
野生のヤギ。
樹々の間を親子連れのヤギが、仲良く歩いている。
カズマは、そっと胸を撫でおろした。
――いや!アイツ等が今の鳴き声に反応して、こちらに向かって来たら!?
……恐る恐る、振り返る。
敵兵3名は、こちらを見て何かを話している…。
……そして、数秒後──西の方向へと歩き出した。
――1か月半前からの、尖閣諸島での領海侵犯をする北夕鮮の艦船上で、数回に渡りヨハンの姿が確認されている。
そして、今回も艦船にいるヨハンの姿が確認された。
交戦状態とはいえ、本格的な全面戦争ではないのだから、テソンはもちろんミョンヒがいる可能性もかなり低いだろう。
だから 今現在、魚釣島に来ているヨハンが、リーダーとして指揮を執っている可能性が高い。
まあ、それ以外の……国衛隊に顔が割れていない者が来ていて指揮を執っている可能性もあるが、可能性として一番高いのは、結局 ヨハンだ。
そして、自分に与えられた任務、それは ”ヨハンの発見・尾行”
自分がヨハンを発見すれば、良し。
もし、自分以外が、味方の誰かがヨハンを視認したら――その情報が即座に自分(と、マキ部隊長)に通知がポップアップで表示される設定になっている。
その場合、そこへ急行――ヨハンを尾行する。
そして、その位置情報を部隊長マキさんに共有し続ける。
位置情報をもとにマキさんが味方を指揮し、ヨハンを取り囲むような陣形――包囲網を完成させる。
そして、”多 対 少” で、一気に叩き伏せる!
……多分、相手の方が、北夕鮮軍の方が、この魚釣島に来ている隊員総数は、上だ。
だからこそ、ヨハンを発見したら、即座に包囲網を完成させて――敵が散っている間に、こちらの意図に気付き ヨハンの元へと戻る前に―― 一気に実行しなくてはならない。
――俺は、近接戦闘は 弱くはないが、強くもない。
だけど、魚釣島に来ている新米隊員の多くよりも、俺の方が上だろう……多分。
でも、今回の俺の最重要任務は、戦闘ではなく、あくまで ”ヨハンの発見・尾行” だ。
その過程で、敵に見つかってはならない。
仮に、敵に見つかってしまったら―― 一目散に逃げる。離脱する。
……もし、目の前で味方が殺される寸前だろうと、決して助けてはならない。
敵に見つかってはならないから。
それは俺の任務ではないから。
本音を言えば、俺は――侍族の愛国者・タケルさんの様に、戦いたい。
しかし、その想いよりも優先すべきは――自分に与えられた任務、ひいては日ノ国の大義だ。
……一分一秒が惜しい。行くか。
新米忍者カズマは、音もなく深い森の中へと消えていった。
――――カンナは、北東へと進んでいる。
北東150メートル先にいる味方2名と、合流しなければいけない。
深い森は、樹木や草木により視界が極端に阻まれる。
数メートル先に誰かが潜んでいても、気づくことは難しい。
オウカと分かれた後、すでに80メートルほど進んだが――体感では、その数倍の距離を走った様に感じられた。
――実力も低いうえに負傷したアタシでは、追っ手に追いつかれる確率が高い。
オウカはそれを気遣って、アタシを先に行かせてくれた。敵を引き付けてくれた。
ありがたくもあり――自分が不甲斐なくもあり。
しかし、今はアタシにできる事を、オウカに指示されたことを、全力で実行せねばならない。
……辛い。
一緒にいたら、生存確率を下げるだけの足手まといにしかならない、自分の実力不足が。
オウカに危険を押し付けて、逃げている自分の弱さが。
──というか、オウカはあの3名の敵を撒けるのか?
生きて再会できるのか?
考えても、わからない。
……今までアタシは、本気で鍛錬していたか?
極限まで、自分を追い込んでいたか?
答えは明白だ。
出来ていなかった……しようともしていなかった。
――ならば、明日から本気で鍛錬しよう。強くなろう――
――!!
カンナの眼前に、すうっ、と 人影が現れた。
瞬間、カンナは立ち止まり――日ノ国刀に手を伸ばす。
カンナの視界に、赤マーカーが表示――いうまでもなく、敵兵だ。
爽やかな雰囲気を纏う青年。
右手には、両刃の直刀――龍泉剣を握っている。
その青年こそ、北夕鮮軍所属――尖閣諸島での領海侵犯、および魚釣島での戦闘行為における、小部隊のリーダー・ヨハンだった。
カンナとヨハンの距離は、10メートルに満たない。
カンナは、ヨハンの動きを見て、直感した。
――アタシが万全の状態で挑んでも、到底敵わない相手であると。
ヨハンは、カンナに正対した。
――カンナは日ノ国刀を抜き、構えを取った。
柄を両手で握り、切っ先を相手に向ける――正眼の構え。
国衛隊の候補生として剣術鍛錬を初めて受けた時に、教わった基本の構えだ。
最初は、”正眼の構えが、かっこいい” などという表層的な理由がキッカケで、剣術に興味を持った。
程なくして、同じく候補生の侍族の女の子と仲良くなり、侍族の鍛錬場へと通って、プライベートでも剣術を学ぶ様になった。
その後、侍の精神を知り、心の奥底が共鳴した様な感覚に突き動かされ、”侍になりたい” と思ったのだ。
――そして、国衛隊の正規隊員として、今ここにいる。
……数秒間が経った。
相手が……動かない?
あ、相手の身体が少しだけ下に沈んだ……?
――カンナの眼前に、ヨハンがいた。
……え?
-ズチャぁ-
龍泉剣が、カンナの右肩を貫いた。
小さく呻きながら、痛みで反射的に、カンナは後ろに飛び……着地に失敗。
ずちゃあ、と 地面に倒れた。
右肩が焼かれた様に熱くなり、赤い血が あふれ出した。
――ヤバい!!
こんな近くに来るまで、気づけなかった。
相手に悟られずに距離を詰める技術――日ノ国の古武術で、剣術で言う ”縮地”
アタシも鏡の前で幾度も繰り返して、かなり上達したかな……と思っていた。
だけど、この男とアタシとでは――明らかに練度が違う。
ヨハンは追撃もせず、地面に倒れたままのカンナに ゆっくりと近づいてくる。
――カンナは、ゆっくりと立ち上がる。
その右腕は、ロクに動かない。赤く染まり、だらん、と力なく垂れている。
――ヨハンは立ち止まる。
切っ先がカンナの血で染まった龍泉剣を右手に握り、カンナを静かに見据えている。
カンナは、利き腕でない左腕一本で、日ノ国刀を握った。
一歩ずつ、ヨハンに近づいていく。
そして、ヨハンに向けて日ノ国刀を振った。
-ぶんっ-
あっけなく、躱された。
――明らかに、ヨハンの方が格上。圧倒的に。
ヨハンは、間合いを詰め――
-ヌチャッ-
カンナの右脚の太腿を、龍泉剣で刺した。
「あ……」
カンナは、右肩と右太腿の激痛に悶えながら――右手に握っていた日ノ国刀を、地面に落とした。
よろめきながら、近くの樹に、どさっ、と もたれかかる。
樹の上にいた鳥が、ちちちっ、と鳴きながら飛び立っていった。
――カンナは左手で、力なく垂れている右腕を抱える。
……様な動作をしつつ、右腕前腕の手甲に手を伸ばし、棒手裏剣を取り出した――
ヨハンは、眼前――3メートルも離れていない!
-ぱしっ-
カンナが全力で、最速で投げた棒手裏剣が――いとも簡単にキャッチされた。
こんな近い距離で……。
-ズドッ-
ヨハンの前蹴りが、カンナの腹部に深く食い込んだ。
――地面へと倒れていくカンナは、理解せざるを得なかった。
この男には勝てない。逃げることもできない。
「――アタシを殺すの?」
ヨハンは、カンナを真っすぐに見据えながら、口を開く。
「……君が北夕鮮に生まれていたら、僕の部下として共に戦っていたかもしれない。
来世は、北夕鮮で共に戦おう」
カンナは、その言葉を聞き――どこか、安心?……したような表情を浮かべた。
「よかった。無駄死にじゃない、糧になる」
「そうだな……総統に祈りを。幸福に包まれながら逝くんだ」
カンナは、にやっ、と笑みを浮かべながら――よろめきながら、立ち上がった。
「殺されるのが……弱いアタシで良かった。」
「……?」
ヨハンは、その爽やかな顔に 怪訝な表情を浮かべる。
再びカンナは、左手一本で日ノ国刀を握り――構える。
「アンタらから日ノ国を護る意志は、生きる。
……アンタらの総統?クソ喰らえ、だ」
おそらくは人生で初めて、汚い罵倒の言葉を吐いたカンナ。
その左手の甲からは 再び血が、どくどく、と流れ出している。
「……残念だ」
カンナは、ヨハンを真っすぐに見据える。
「――日ノ国は牙を剝く。
弱いアタシが アンタに殺されれば、強い仲間達が アンタらを殺してくれる」
ヨハンは無言でゆっくりと、剣の切っ先をカンナに向ける。
そして、前進する。
――数秒後、あの剣がアタシの身体を貫く。
痛いだろうなぁ。
怖いなぁ。
……今からでも、謝ったら 許してくれるかなぁ。
――カンナは、剣術を初めて習った日から、今までの記憶を、走馬灯の様に思い出していた。
侍族の女の子達と遊んだ。侍族の女教官が厳しく優しく指導してくれた。同期生たちとも沢山話した。
そして、今日。
震えるだけだった自分を、エレナが支えてくれて、そしてオウカが導いてくれた。
――オウカもエレナも、アタシと同い年なのに、凄いなぁ。アタシも、2人みたいに――
カンナは、ヨハンを、北夕鮮を、この国の平和を脅かす敵を――敵意を持って、見据え続ける。
――そして、前へと歩を進める。
「アタシの君主は――日ノ国だ」
――17歳の侍・カンナ。
尖閣諸島 魚釣島に散る。
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