目の前で、記憶がフラッシュバックする。
大量の映像が、とめどなく流れる。
幼少期から現在に至るまでの膨大な記憶の中から、生存方法を導き出すための本能。
しかし、その中からスヨンが意識を向けたのは――リュンとの記憶。
学生時代、転校初日にリュンと目が合った記憶。
異性と まともに話せないリュンを横目で見て、”私と同じだ” と思った記憶。
放課後、リュンが一人の時を見計らって、勇気を出して話しかけた記憶。
北夕鮮軍に入隊して半年後、初めて2人でペアを組んだ記憶。
2人で旅行に行って、同じ朝を迎えた記憶。
そんな記憶が、脳裏をかけめぐっている。
――リュンのおかげで、私の人生は満たされた。
スヨンの顔は、穏やかな表情を浮かべている。
スヨンの身体に、縦一文字が走った。
――オウカが放った斬撃。
一瞬遅れて、その縦一文字から、勢いよく鮮血が噴き出す。
ぐらり、と後ろに倒れていくスヨンの身体が、真紅に染まっていく。
どっ、背中から地面に衝突したスヨンの身体が、一回だけ跳ねた。
――オウカの姿は、既にそこにはなかった。
腹部の傷からの激痛と大量の出血に悶えながらも、駆けだしたリュン。
身体に振動が加わるたびに、全身が跳ね上がるような痛みが走る。
だが、もはやリュンにとって、そんなことはどうでもよかった。
――リュンは、スヨンとの記憶を思い出していた。
スヨンが転校してきた日、一目惚れした記憶。
異性とまともに話せないスヨンを見て、自分のことを棚に上げて「護りたい」と思った記憶。
勇気を出してスヨンに話しかけようと放課後に残っていたが、結局 勇気をもらった記憶。
北夕鮮軍の徒手格闘訓練で、他の男がスヨンに触るのを見て、無性に腹が立った記憶。
2人で旅行に行って、同じ朝を迎えた記憶。
そんな記憶が、脳裏をかけめぐっている。
――そして今、リュンの両腕の中に、スヨンの優しい笑みが浮かんでいる。
ああ、いつも通りの優しい笑顔だ。
「スヨン……俺は……俺はぁ……」
「リュン……私の命は、あと1分もない」
「うっ……えぐっ……うあああっ……」
大量の涙が、リュンの頬を伝う。
「私が死んだ後、あなたがすべき事……わかってるわね?」
「……ううっ……す、すべてはぁ……総統の……為、に……」
「そう、最も合理的な選択肢を実行して。私すらも その為の道具でしかない」
涙を拭うリュンの手が、震えだした。
「だからせめて、あと数十秒間だけは――」
全身から みるみる力が抜けていくスヨンは、最期の言葉を力強く発した。
「リュンの腕の中で眠りたい。あの日と同じように」
リュンは自分の喉から絞り出される泣き声を、必死で抑え込んだ。
そして、大粒の涙を流しながらも……優しく微笑んだ。
――スヨンは、リュンの優しい微笑みを見た。
そして、安心したように――静かに目を閉じた。
…………………………………………………………………………………………………………………。
……数分後、リュンはスヨンの口元に右手を当てる。
呼吸が停止していた。緑マーカーも消滅していた。
自身が抱えているのは、スヨンの亡骸。
リュンの顔に、虚無の表情が浮かぶ。
リュンは右手を伸ばす。双剣の片割れを握る。
そして、スヨンの亡骸に――視線を移した。
――――オウカは、スヨンの身体が地面に跳ねる前に、走り出していた。
司令部からの指令通り、軍用車に合流する為に。
数十秒後、指示された合流地点には、10名ほど乗れそうな軍用車が停車していた。
ARレンズを通した視界には、味方の軍用車であることを示す、”大きな赤マーカー” が表示されている。
軍用車の運転席から、オウカに向かって命令が飛ぶ。
「乗れ!統合防衛司令庁 方面に急行する!」
オウカは軍用車に乗り込む。
車内には、すでに9名の国衛隊員たちが座っている。
エレナの姿は、見当たらない。
オウカは座席に座りながら、視界に広域マップを表示した。
そして、エレナの場所を確認する。
エレナの現在値は――混戦の中心地から80メートルほど離れた所。
他の隊員たちからは、建物の陰になっていて見えない場所だ。
エレナが対峙していた敵兵を現す赤シグナルは、表示されていない。
――エレナは、敵を葬ったようだ。
そして、エレナとペアである私と同じように、統合防衛司令庁 方面に向かう指示が、通知されているだろう。
エレナとは、いずれ合流できる。
……………………
オウカは、自問自答していた。
なぜ、あの女を斬った後、もう一人の男にトドメを刺さなかった?
あんな状態では、どうせまともに戦えないから?
あえて生かしておくことで、他の兵士を救助に向かわせて、敵の時間を削ぐ為?
それとも、別の何か――
……………………
”愛する者が、目の前で殺される”
その状況は、まるで――幼少期の私と――
――――セツキの声、佇まい、立ち姿、表情が――別人の様に変わった。
姿形はさっきまでと全く同じだが、根本的に……何かが違う。
-ザンッ-
――敵1名の首が飛んだ。
セツキが右手に握った太刀による、横一文字の斬撃で。
――もう一人の敵は、反射的に後ろに跳ぶ。
同時にセツキは前進し、左手に握った小太刀の 切っ先が――宙を舞う敵兵の頭部……の口めがけて、刺突を放った。
串刺しになった頭部の裏側から、赤い鮮血と共に小太刀の切っ先が現れた。
セツキは、その小太刀を振りかぶり――そして振り下ろした。
-ドウッ-
後ろに跳んだ敵兵の顔面に、重い物体が衝突した。
その衝撃で、全身がさらに後方に吹っ飛ぶ。
どさっ、と地面に背中から叩きつけられた敵兵は、同時に地面に跳ねた物体の正体を視認する。
――同胞の頭部。
赤い血を巻き散らしながら飛んできた、同胞の頭部。
たった今セツキに首を飛ばされた、同胞の頭部。
……まだ、生きている。
首から上だけになった同胞は、まだ意識があるらしい。
ぎょろり、とした目で俺を見ている。口を ぱくぱく、と動かしている。
俺に何かを伝えようと……いや、何かを聞こうとしているようだ。
まだ、自分が首を飛ばされた事態を呑み込めていないのか……。
――同胞よ。
お前の仇は、俺が――
-ザンッ-
背後に回り込んだカイが、立ち上がろうとする敵の頭部を、刎ねた。
首を失った胴体が、再び地面に叩きつけられるのと、頭部が地面に跳ねるのと、ほぼ同時だった。
――まだ、緊張を解くことはできない。
まだ、混戦は続いている。
国衛隊員と北夕鮮兵士による、混戦は続いているのだ。
(頭上に表示されるマーカーは、相変わらず変色・変形しているが、もはや誰も気に留めていない)
20名の国衛隊員たちと、それを挟むように攻撃する20名弱の北夕鮮兵士たち……いや、双方ともに1/3以上は既に倒れている。
倒れている者の大半は、マーカーが表示されていない。
その代わりに、真新しい赤い血が、アスファルトを覆っていく。
――カイは、セツキの方に視線を移す。
セツキは、横たわる2名の 真新しい遺体を 見下ろしていた。
その表情は、どこか怒りを湛えている様にも、見て取れる。
侵攻してくる敵への怒り………というより、もっと個人的な怒りに見える。
”――お人好しなのか、制御不能な狂人なのか、よくわからないヤツだな”
セツキの後ろから襲い掛かる敵兵。
セツキは視線を移さない。振り向きもしない。
敵兵に背を向けたまま、右腕に握る太刀による横一文字の斬撃。
敵兵の首が、舞う。
――セツキとカイの視界に、指令が表示された。
[大至急、軍用車に乗車のうえ統合防衛司令庁 方面に急行せよ]
セツキとカイは、統合防衛司令庁へと向かう。
――――愛国者である父親を、殺された。
腐れ政治家に。
売国奴に。
利権者に。
――父親を殺された。
この国の政界の腐敗を暴こうと、長年 活動してきた父。
この国の未来の為に、人生を捧げてきた父。
心より尊敬できる父。
――殺された。
国会議事堂前で、財務庁の公用車で、轢き殺された。
犯人はそのまま逃亡した。
結果として逮捕されたが………………………………不起訴。
司法で裁かれることもない。
なぜだ?訳がわからない……とは、思わない。
これが、腐れ政治家・売国奴・利権者のやり方だと、骨の髄まで理解しただけだ。
……………
日ノ国の与党・官僚は、汚れすぎている。
腐れ政治家・売国奴・利権者が、あまりに多すぎる。
俺は、ゲンは――父の正義を、侍族としての誇りを、継ぐ。
復讐心も、多分に含まれているだろう。
復讐者と呼ばれても、まったく構わない。
――与党・官僚を、無法で葬る。
――無法の戦い。
普段は法の中で戦い、必要とあらば法の外で戦う。
それは、極めて有効な戦略・戦術なのだ。
正義にも、無法は必要なのだ。
――忍者族から、俺にも通達があった。
父は、純日ノ国人だと、帰化人ではないと、生前に証明していた。
そして、その息子である俺も同様に、純日ノ国人と証明済み。
だから、忍者族から通達があったのだ。
忍者族は、何かを計画している。
しかし、具体的には何を計画しているのかは、わからない。
だが、この国を喰い潰そうとするクズ共を葬るために、何かを実行すべく準備を進めているのだ。
日ノ国が、スパイ天国と言われたこの国が、遂に生まれ変わる その日が――来るのだろうか。
ゲンは、統合防衛司令庁を侵攻する敵を迎撃すべく、配置についている。
20代後半の男。
短く刈り込んだ髪。
やや背は低いものの、肩幅は広く、ガタイの良い体格。
武骨な表情。
腰には、日ノ国刀を携えている。
――ふと、右を見る。
全身を貫くような緊張が走る。
日ノ国刀に、右手を伸ばす。
――爽やかな雰囲気をまとう青年が、数十メートル先にいる。
頭上には赤マーカーが表示されている。
こちらに向かって、真っすぐ歩いてくる。
そして、左腕で――真っすぐな直刀を構える。
その全長は日ノ国刀と同じくらいだが、日ノ国刀の様な反りが無い、直刀を。
……………………?
歩く姿に、違和感を感じる。
――彼の、右腕だ。
歩く姿から、剣を抜く動作から、手練だとは わかる。
しかし、その右腕は、ダラッ と力なく垂れている。
あれでは、右肩に負担がかかる。
全身を連動させる精妙な身体操作に、支障をきたす。
あれが、ブラフでないと仮定するならば…………
右腕が、まともに動かないのか。
例えば、斬撃で斬り落とされた後に、縫合手術を行って間もない……のかもしれない。
ゲンは、日ノ国刀を鞘から抜く。
美しい波紋が浮かぶ刀身が、姿を現す。
そして、前へと歩を進める。
純日ノ国人として。
国衛隊員として。
愛国者として。
侍族として。
そして、尊敬すべき父親の息子として。
敵を……滅する!
――切っ先が、天を衝く。
刀を握る右手を上げ、左手を添える。
日ノ国刀を天高く真っ直ぐに構える。
――次元流・蜻蛉の構え。
通常の歩法から、すり足に切り替わる。
ゲンは、相手を射抜く様な 鋭い眼光を放つ。
青年は――は、歩く速度を変えない。
涼しげな表情のまま、真っすぐに向かってくる。
あと数歩で、間合いに入る。
間合いに、入った。
ゲンは、両目をカッと見開き――全力で両手を振り下ろす!
――侍族の愛国者タケルさんの元で修練を重ね続けた、日ノ国剣術・次元流。
初撃に、”一の太刀” にすべてを込める、一撃必殺の剣術。
初太刀で相手を両断することを真髄とする、神速の袈裟斬り!
稲妻の様な斬撃。
……は、躱された。
-ドッ-
――ゲンは、”二の太刀” に移行しようとする。
次元流は、一の太刀で敵を殲滅することを最重視している。
しかし、躱された場合に対応する技術体系も、とうぜん備えている。
……だが、何かがおかしい。
腕に、力が入らない。
――ゲンの喉に、剣の切っ先が食い込んでいた。
真っすぐに伸びた、腕の長さほどの刀身。
その切っ先が。
青年は――ゲンの斬撃を、左に躱すとともに、左腕に握る龍泉剣での刺突。
鏡面の様に磨き上げられた両刃。
その切っ先が、ゲンの後頸部から姿を現していた。
いうまでもなく鮮やかな血が、だらだら、と溢れ出してくる。
目の前の青年の表情は、至極冷静……涼しい顔をしている。
左腕を引く。
龍泉剣の刀身は赤い血に染まり、悪趣味な輝きを放つ。
”…………………………………”
日ノ国刀を握るゲンの両手が、緩む。
全身から、みるみる力が抜けていく。
上半身が、ぐらり、と傾いて地面に倒れ込んでいく。
……………………………………………
ゲンの脳裏に、父親との記憶が展開される。
幼い頃より、その背中を追いかけてきた父親との記憶が。
この国の不正と戦い、そして散った父親との記憶が。
俺が、正義を継ぐと、誓った日の記憶が。
―――――――――――――――――
――まだ、父親の正義は、終わってはいない!
この国を喰い潰そうとするクズ共を葬る。
ゲンの眼に、生涯最期の炎が灯る。
”――侍族を、舐めるな!!”
最期の気力を振り絞る。
振り下ろした日ノ国刀を、再び持ち上げる。
切っ先が再び天を衝く。
両腕を、全力で振り下ろす。
――全身全霊を懸けて、再び一撃必殺の ”一の太刀” が繰り出された。
青年は表情を強張らせながら、龍泉剣を頭上に構え、防御の体勢を取った。
-ギイイン!-
神速の袈裟斬りが、青年を襲う。
左手に握る龍泉剣に、大地を揺るがすほどの衝撃を感じる。
”――――重い。押し切られる……!”
青年は、咄嗟に後方へ跳んだ。
きぃん、と龍泉剣がアスファルトに落ちる音が響いた。
――ギリギリだった。
青年の上半身の衣類は、右の肩口から左腰にかけて、やや斜めに切断されている。
そこから覗く青年の素肌に、赤い線が走っている。
次の瞬間、青年の上半身から――赤い血が吹き出す。
――――本当にギリギリだった。
後ろに跳ぶ判断が、その実行が、一瞬でも遅れていたら……。
……私は、死んでいた。
日ノ国刀の切っ先が、上半身の表面を走った。
今すぐには、致命傷にはなりえない。
だが、早急に止血しなければ、いずれ出血多量で動けなくなるだろう。
――青年は、ゲンに視線を移す。
ゲンは、こちらを真っすぐに見据えている。
鬼の形相。
”……常軌を逸している”
青年の頬を、冷や汗が流れる。
”彼はもう、死んでいるというのに”
ゲンの頭上には、もう赤マーカーは表示されていない。
ゲンは、そのまま前方に どさっ と倒れ込んだ。
首の真下のアスファルトには、血だまりが広がり始めている。
――何という気迫。
後ろに跳ぶのが、刹那でも遅かったら――身体が斜めに両断されていたかもしれない。
青年は、よろめきながら電柱によりかかった。体重を預けた。
数秒後。
青年の上半身に刻まれたゲンの斬撃の軌跡から、跳ね上がる様な痛みが発せられる。
ずきずき、じんじん……とした、鋭い痛みが。
「くっ……」
青年の顔が、歪む。
懐から止血のための軟膏を取り出した。
そして、斬撃が刻んだ赤い軌跡に、軟膏を塗っていく。
――私は、追撃し続けるべきだったのだ。
相手の赤マーカーが消滅するまで、即ち死亡するまで。
――命に執着しないゆえの冷静。
それが、詰めの甘さを生んでしまった。
激情に身を任せて、相手が塵になるまで、邪悪な獣の様に攻撃をし続ける。
そんな要素が、自分には足りないのかもしれない。
死は、覚悟している。
だが それと、命を軽々しく扱うことは違う。
より合理的に、ムダな危険を冒さない様に、自分の命を懸ける。
自分の命は大切だ。
総統のお役に立つ為の、大事な命なのだから。
青年は、ヨハンは――体重を預けていた電柱から離れた。
そして、統合防衛司令庁の方角へ、再び歩き出した。
――――オウカと9名の国衛隊員が、軍用車に揺られて十数分後。
軍用車は、統合防衛司令庁の手前1.8キロ地点に敷き詰められた、タイヤキラーの前で停車した。
タイヤキラーは、司令部による遠隔操作で、タイヤをパンクさせるトゲトゲを寝かせることもできる。
つまり、国衛隊の軍用車のみを通すこともできるのだ。
しかし、それは同時に、敵に軍用車を襲撃・強奪されるリスクも孕んでいる。
そうなれば、統合防衛司令庁まで一気に走行されてしまう。
というより、既に国衛隊員たちは、障害物設置地点の内側で配置についている。
それなら、わざわざ相手に移動手段を得る好機をくれてやる必要はない。
今は、軍用車は障害物設置地点の内側に入れない……との司令部の判断なのだろう。
オウカおよび9名の国衛隊員が、速やかに軍用車から降りていく。
オウカは、間髪入れずに走り出した。
――数分前。
視界に、通知が表示されたからだ。
[敵兵ヨハンが、視認されました]
……と。
ヨハンが視認された場所は、ここから1.5キロほど離れていた。
(ヨハンは、国衛隊に顔が割れている。
だから、予め設定しておけば、味方により対象の敵が視認された場合は、通知を受けることが可能だ。)
そして、通知を受けて広域マップを表示、場所を確認していた十数秒後のことだった。
ヨハンを視認している国衛隊員を示す、緑シグナルが消滅――戦死した。
同時に、ヨハンを示す赤シグナルが見失われた。
――ヨハンの現在地が見失われたとはいえ、大した問題ではない。
ヨハンの向かう先は……否、北夕鮮軍兵士たちの向かう先は――1つ。
統合防衛司令庁なのだから。
そこに行けば、必ずヨハンは来る。
―――――――――――――――――
エレナにも、ヨハン視認の情報は通知されているだろう。
エレナは、私と同じくヨハンが来る場所に向かう。合流できる。
――カンナを殺した、ヨハンを殺すために。
突如、オウカの脳裏に――カンナの死に様がフラッシュバックした。
――カンナが、仰向けに倒れ……絶命していた映像が。
心臓部を、刀剣類で貫かれていた。
カンナの身体の周りは、血だまりが形成されていた。
血だまりは広がり、そして地面へと吸い込まれていた。
その左手には、日ノ国刀が握られていた。
その左手の甲には、武士道の証が刻まれていた。
オウカは、カンナの顔に手を伸ばし――静かに、両目を閉じさせた。
――カンナを殺したのは、ヨハン。
オウカは、走る。
この戦争において、オウカとエレナがすべきことの1つ。
『ヨハンへの復讐』を果たすために。
――――アキルは、小型の軍用車の中で、待機していた。
アキルは、”テソンを尾行” という危険極まりない任務を負っている。
いつテソンが現れても出動できるように、待機している。
……だが、どの要所にテソンが現れるかは、その時までわからない。
だから、首都・東京の各要所にも、同様の任務を負っている国衛隊員達が待機している。
……いつ、自分の ”テソンを尾行” という任務が開始されるのか?
いや、統合防衛司令庁ではない別の要所にテソンが現れた場合……その任務は開始されない。
超危険な任務が確定事項ならば、覚悟も決まるだろう。
しかし、超危険な任務を負わなくて済むかもしれない……という逃げ道があると、覚悟を決めきれない。
俺の任務は、いつ開始される?
それとも、開始されない?
一体、どっちだ!?
精神が、揺れ動く。
手足が、震える。
喉が、乾く。
待機しているだけで、急激に精神が疲労していく。
アキルは、飲料水ペットボトルを開けて、ごくごく、と勢いよく飲んだ。
そして、左手で小さなパッケージを、ポケットから取り出す。
おもむろに、パッケージの中に手を伸ばす。
右手でクエン酸グミを何個か掴んで、口に放り込む。
……美味い。
その味に意識を向ける事で、過度な緊張を解きほぐす。
危険極まりない任務に、いつでも対応できるように。
テソンが現れたら、国衛隊員が視認したら、その位置情報が即時通知される。
この軍用車が、即刻出動する。
テソンの進行方向に先回りして俺は降車。すぐに身を潜める。
そして、間もなく視界に入るであろうテソンを、尾行するのだ。
アキルは おもむろに、空中を二回タップした。
データフォルダから画像を選択。
表示する。
故郷にいる家族と、記念撮影した時の画像だ。
一時的な安心感に包まれる。
アキルの手足の震えが、徐々に小さくなり……止まる。
自分自身の中にある、愛国心を、使命感を感じる。
頼りなく揺れ動いていた精神が、研ぎ澄まされていく。
――アキルは、故郷にいる家族を想い、覚悟を決めた表情を浮かべる。
――――北夕鮮軍の軍用車が、統合防衛司令庁へと向かう。
多数の軍用車の中の、とある1台。
軍用車を運転する北夕鮮軍兵士は、ルームミラーに目をやる。
その車内には、1人の少年がいる。
走行している軍用車の中で、戦況を確認している。
日ノ国侵攻作戦は、あらかじめ計画していた通り、順調に進行している。
少年は、日ノ国侵攻作戦の指揮を、総参謀部へと引き継いだのだ。
「――あと数十秒で、統合防衛司令庁の約2キロ手前の障害物設置地点に到着します」
軍用車を運転する北夕鮮軍兵士の言葉に、少年は頷く。
雪のように、白い髪の少年。
その腰には、二振りの刀を携えている。
――20秒後。
前方に 障害物設置地点が見えてきた。
タイヤをパンクさせるトゲトゲ……大型の ”タイヤキラー” が、道路に大量に敷かれている。
その手前の十字路には、国衛隊員たち8名が待機している。
大量のタイヤキラーの向こう側には、同じく国衛隊7名が待機。
計15名の国衛隊員たちは、こちらに気付いている。
猛スピードで向かってくる、北夕鮮軍の軍用車の接近に。
それぞれ武器を構えて、臨戦態勢に入る。
少年は静かに、しかし力強く言葉を発する。
「後は、手筈通りに」
「――ご武運を」
運転手である北夕鮮軍兵士は、ブレーキペダルを踏み込むと共に――左へと急激にハンドルを切る。
再びアクセルを踏み込むと、軍用車が激しいドリフトを開始した。
高速回転するタイヤが、アスファルトと擦れ合う。
激しい音が響きわたる最中、運転手がルームミラーに視線を移すと――少年の姿は、既にそこにはなかった。
十字路に待機している8名の国衛隊員たちは必死の形相で、ドリフト状態で突っ込んでくる軍用車を躱した。
軍用車は、十字路を荒々しく左折。
そのまま速度を上げて走り去っていく。
「…………は?」
十字路に待機していた8名の国衛隊員たちは、呆気に取られた。
”あの軍用車、何しに来たんだ?”
「…………え?」
タイヤキラーの向こう側に待機していた国衛隊7名は、呆気に取られた。
”――いつの間に?”
7名の眼前に、白い髪の少年が静かに佇んでいた。
その右手には、刀が握られている。
その刀身が、太陽光を反射して鋭い輝きを放っている。
―――――――――――――
――刀が、鞘に収まっていた。
頭部が、ずずず、と斜めにズレていく。
3人の国衛隊員の頭部が、ずずず×3と、斜めにズレていく。
3つの斬撃の後、重力を忘れていたかのように数瞬遅れて、切断された頭部が重力に引っ張られていく。
赤い血液が、首の切断面から大量に流れだす。
3つの頭部がアスファルトで跳ね、鈍い音を奏でた。
胴体は、いまだ武器を構えたまま、立っている。
4名の国衛隊員たちは、それをただただ、黙って見ていた。
目の前で起きた嘘の様な光景を、未だ現実と認識できていない。
――我々に察知されることなく、激しいドリフトをしている軍用車から飛び降りて、ここまで移動した?
そして、その刀で我々に認識されずに斬撃を繰り出し、3名の国衛隊員たちの首を切断した?
……到底、信じられない。
――少年が、歩き出した。
3名の国衛隊員たちの身体が、びくっ、と痙攣した様な反応を見せる。
そして、両前腕の手甲から棒手裏剣を取り出した。
全長15センチほどの、黒い鉛筆を思わせる棒手裏剣。
それが、両手に2本ずつ握られている。
3名が同時に――両腕を振る。
6本の棒手裏剣が、少年に向かって飛んでいく。
――少年が、走り出した。
一瞬だけ その両腕が、ふっ、と消失した様に見えた。
消失した両腕が再び現れた時、右手と左手に3本ずつ――計6本の棒手裏剣が、その両手に握られていた。
――少年の両腕が再び、ふっ、と消失した。
消失した両腕が再び現れた時、国衛隊員の首に何かが生えていた。
2本ずつ、黒い鉛筆が生えていた。
国衛隊員たちは、自分に首に生えている物体を確認しようと、視線を落とす。
そして、頭が地面に吸い込まれるように――上半身から前方へ倒れ込んだ。
どうっ、と3名の身体が、アスファルトに叩きつけられる音が響く。
その音で、ドリフトして去っていく軍用車に気を取られていた国衛隊員たちが、異変に気付く。
振り向いた先には、赤い血と共に――3つの首無し人間が地面に横たわる光景。
少年の姿は、既にそこにはなかった。
――少年は、走る。
日ノ国の大地を。
物心つく前から神童と呼ばれ続け、
実の親から引き離され、
総統ギムを親以上の存在と繰り返し教えられ、
その才能を伸ばす環境が用意され――
――そして、”北夕鮮を覇権国にする” という使命を得た。
使命達成の為、北夕鮮軍に入隊。
1年間で、 ”北夕鮮軍の天才” と言われるミョンヒと同格に。
その半年後、ミョンヒを超える戦闘能力を身に着けた。
――少年は、走る。
総統の意志は、自分の意志。
総統の怒りは、自身の怒り。
総統の夢は、自身の夢。
総統の存在は――自身の世界の、第一原理。
――彼の名は、テソン。
北夕鮮史上最高の天才と呼ばれる、15歳の少年。
――――数秒間だけ、テソンが視認された。
場所は、統合防衛司令庁 方面だ。
間違いない。
北夕鮮軍は、ハツメの見立て通り――統合防衛司令庁を一点突破で落とすことを目的としている。
統合防衛司令庁 方面へ、急行する!
小型の軍用車を運転する忍者族の男は、ふとルームミラーに目をやる。
そこには、向かい合わせになった後部座席に座る、3名の人間が映っている。
向かい合わせになった後部座席の右側。
――日ノ国の伝統的な和服に身を包み、愛刀を携える女性――侍族サキョウ。
凛として、優美でありつつも、どこか鋭さを感じる。
サキョウの対面に座る2名の忍者。
その内の1名は、”お目付け役” だ。
”超危険人物” を監視する、管理監督者。
そのお目付け役の左横に、1人の男が座っている。
――忍者族の大犯罪者。
漆黒の忍び装束。
両手には、手錠。
両脚には、足錠。
いまや着用する者もほとんどいなくなった、忍者族古来の装束に身を包む男。
手錠と足錠で 拘束された男。
武器は、一時的にお目付け役が預かっている。
テソンと戦う、直前まで。
拘束された状態であっても、武器がない丸腰の状態であっても――超危険人物。
一秒……いや、一瞬でも目を離したら、その両手が手錠から抜けているかもしれない。
即座に攻撃してきて、脱走を試みるかもしれない。
お目付け役の男は、一秒一瞬たりとも、気を抜くことは許されない。
――やや俯き加減だった忍者族の大犯罪者……の顔が、静かに起きた。
首筋にかかるくらいの長さの黒髪。
切れ長の目。柔らかな表情。
その中性的で端正な顔立ちは、静かな知性を感じさせる。
その表情だけを見るなら、”好青年” と形容するのが妥当であろう。
警戒することにすら罪悪感を覚えてしまうほど――人畜無害そうな微笑みを浮かべている。
――正面のサキョウへと、視線を移す。
サキョウは、忍者族の大犯罪者に視線を合わせる。
忍者族の大犯罪者が、口を開く。
「――なあ、サキョウさん」
「黙りなさい」
「俺は あんたに出会えて、よかったと思っているよ」
「黙りなさい」
「半殺し以上にされて―― ”親に叱られる ってのは、こんな感じなのかなぁ” って」
「黙れ」
サキョウは、その右手を――日ノ国刀の柄へと伸ばした。
「俺はテソンに負けない。絶対に勝てるよ」(目的は、テソンの記憶に残り続ける事だから)
「…………無理ね」
「あんたは、テソンに勝てるのかなぁ」
「どの言葉が お前の遺言になるか、私にも わからないわよ」
サキョウは、凍り付くような視線を送る。
「あんたとテソンのどっちが勝つか、特等席で見物させてもらうよ」
「……会話が成立しないわね。もう 黙っていなさい」
忍者族の大犯罪者は、屈託のない笑みを浮かべる。
……再び、沈黙が流れる。
……お目付け役の男は、全身から汗が噴き出していた。
侍族サキョウと、忍者族の大犯罪者。
2人による数十秒の会話が、途方もなく長い時間に感じた。
生きた心地がしなかった。
いや、会話が終わった今も――生きた心地は、しない。
――サキョウは、日ノ国の伝統的な和服に身を包んでいる。
サキョウは、日常生活でも、鍛錬において、和服に身を包んでいることが多い。
侍族が所有する敷地の奥、小さな茶室でハツメにお茶を入れた時も――。
――ただ1つだけ、いつものサキョウの着付けとは、明確な違いがある。
襟が、”左前” である事。
本来、和服は――右側の衿を先に体に当て、その上から左側の衿を重ねる
相手から見て、右側の衿が前に見える ”右前” が、和服の正しい着付けとされる。
だが、今現在のサキョウは――その真逆。
右側の衿が、左側の衿の上に重なっている。
相手から見て左側の衿が前に見える ”左前”
……生者には、禁忌とされる着付け。
【死装束】
戦闘時は、左前。
戦闘時は、死装束。
戦闘時は、己自身を死者同然に扱う。
それは、戦闘時における、サキョウの信念。
”死と共に生きる” という覚悟。

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