ARレンズを通した視界に、広域マップが表示されている。
味方の位置を示す ”緑シグナル” と、現在進行形で味方が視認している敵の位置を示す ”赤シグナル” 表示されている。
オウカは、走りながら広域マップを表示して、ペアを組んでいるエレナの現在値を確認している。
(もちろん、周囲への警戒は怠らない)
味方の軍用車、つまり国衛隊の軍用車の位置を示す ”大きい緑シグナル” にぴったり重なる様に、エレナの位置を示す緑マーカーが、移動している。
自分より一足遅れて、発電所から統合防衛司令庁に向かう軍用車に、エレナは乗っているのだ。
そして間もなく、障害物の設置地点の前で降りるだろう。
それなら、お互いそのまま統合防衛司令庁に向かえば、再度 合流する事はできる。
オウカは、その旨を伝えるメッセージをエレナに送ろうとした。
しかし、それより早く、エレナから同じ意図のメッセージが来た。
[統合防衛司令庁に向かえば、いずれ合流できる」
オウカは、走りながら言葉を発し、メッセージを音声入力。返信した。
[わかった。私は既に軍用車から降りた。このまま統合防衛司令庁に向かう]
――数分後。
統合防衛司令庁まで、1.5キロ離れた距離。
オウカは再び広域マップを展開した。
エレナは、既に軍用車から降りて統合防衛司令庁に向かっている。
エレナとの距離は、600メートルばかり離れている。
――瞬間、オウカの視界に ”それ” は表示された。
広域マップに、突如として赤シグナルが表示されたのだ。
つまり、現在進行形で敵兵が視認されているのだが……。
不可解だ。
――誰が、敵兵を視認している?
赤シグナルの位置は、エレナの進行方向から、右斜めに当たる方角。
エレナからはたっぷり800メートル以上離れている。
オウカの進行方向からは、少しだけ右に逸れれば――数分後に遭遇する距離だ。
しかし、広域マップでは、その付近には国衛隊員はいない。
一体、誰が その敵兵を視認しているのか?
……わからない。
その敵兵は国衛隊に、司令部に――顔が割れている。
そして、この戦争における要警戒人物でもある。
オウカの視界には、その人物の名前が表示されている。
――同時にオウカは、シーナ国軍の上官リーファの言葉を思い出す。
”この戦争における、あなたの最重要任務”
オウカは、進行方向を少しだけに変えた。
恐らく、このままいけば約1分後には遭遇する。
赤シグナルが、どんどんこちらに近づいてくる。
鼓動が速まる。
毛が逆立つ。
全身に緊張が走る。
――やや開けた場所に出た。
広大な敷地を有する、緑豊かな庭園・新宿御苑。
無機質な高層ビル群の中、ここだけが深い自然に包まれている。
オウカは、歩を止めた。
赤シグナルは、敵兵は――あと数十秒ほどで、ここに到達する。
全身から、汗が吹き出す。
自分の心臓の鼓動が、うるさく感じる。
両脚が、どこか頼りなく、ふわふわしている感覚。
そして、国衛隊のWi-Fiマイコンへの接続を保ったまま――リーファから渡された使い捨てWi-Fiマイコンにも、デュアル接続する。
仮想キーボードで、メッセージを入力する。
送信ボタンはまだ押さない。押すのは肉眼で視認してからだ。
北夕鮮軍の要警戒人物の筆頭である、その敵兵を自分の眼で視認してからだ。
オウカは、迎撃態勢に入る。
メイン武器。
左腰に据えた一振りの日ノ国刀。
右手で日ノ国刀を抜く。美しい波紋に彩られた銀色の刀身が、太陽光を反射する。
サブ武器。
両腕の前腕に装着した手甲――に挿した棒手裏剣。
日ノ国刀を握ったままの右手で、左前腕手甲から棒手裏剣を3本抜く。
それを、左手に持ち替える。
――自分の心臓が、跳ね上がる感覚を覚える。
迎撃態勢に入ったオウカの眼前、約70メートル先に――その敵兵は赤マーカーと共に姿を現した。
高層ビル群を背景に、静寂に包まれる鬱蒼とした深い森の中から――恐ろしい速度で、こちらに向かって走ってくる!
敵兵との距離、約50メートル。
……おかしい。
走っている時も、足が地面に着地する音が、まったく聞こえない。
身体の重心のブレがまったくない。
それは、武術家としての練度が、極めて高いことを意味している。
敵兵との距離、約20メートル。
オウカは、すっ、と日ノ国刀を持って、前進した。
生きた心地がしなかった。
その敵兵との距離が、あの世との距離に感じられた。
その敵兵が、 ”死” という概念そのものに感じられた。
敵兵との距離は――
―――――――――
――その敵兵が、オウカの眼前から消えていた。
……いや、違う。
一瞬で進行方向を変えて跳んだ。距離を取ったのだ。
オウカが、左に視線を移す。
10メートルも離れていない場所。
――15歳ほどの少年が、そこに 自然体で立っている。
背の丈は、オウカと同じくらい…いや、わずかに低い。
雪のように白い髪。
端正な顔立ち。
冷静沈着な表情。
――彼の名は、テソン。
”北夕鮮史上最高の天才” と称される、超危険人物。
テソンは、こちらに一歩踏み出した。
この距離でも、足音がまったく聞こえない。
その動きに、全く無駄がない。
その左腰には、鞘に収まったままの刀。
両手は、まるで散歩をしているかのように、自然体のままだ。
オウカは、我に返り、シーナ国へのメッセージの送信ボタンを押した。
忘れていた。
本当は、テソンを視認したと同時に、送信ボタンを押すべきだったのに、忘れていた。
何故なら、テソンの動きが、あまりに練度が高かったから。
――戦争の最中だというのに、どこか見とれてしまっていたのだ。
テソンは、真っすぐにオウカを見据えながら歩いてくる。
あと5歩もすれば、日ノ国刀を握るオウカの攻撃圏内に入る。
――オウカは、考えている。
複雑な事を考えているのではない。
考えているのは、極々シンプルな事だ。
”低く偽った実力を、解除する”
周りに、国衛隊は視認できない。
いや、そもそも国衛隊がいたとしても、それを気にする余裕がある状況ではない。
私が死亡してしまったら、元も子もない。
”低く偽った実力を、解除する”
オウカは、自分自身に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。
もし、戦っている最中に国衛隊員が来てしまったら、自分の真の実力がバレてしまう。
国衛隊員に不審に思われる。
国衛隊上層部に疑われる。
忍者族あたりに経歴を洗いざらい調査される。
スパイとバレる。
だが、広域マップを表示しながら、緑シグナルの位置を意識しながらテソンと戦うならば――生存するのは不可能だ。
――なら、逃げるか?
テソンが私を追跡してこない可能性も、充分ある。
私が立ち塞がっているから相対しているだけで、私が道を空ければテソンは統合防衛司令庁へと向かうだろう。
だが、もしテソンを倒せたら、私は将校になる確率が格段に上がる。
私の ”最終目的” である、父親への復讐も、果たしやすくなる
オウカは、再々度 自分自身に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。
”低く偽った実力を、解除する”
国衛隊の訓練でも、尖閣諸島 魚釣島での戦いでも、本土に侵攻されている今日も。
今の今まで、本気で戦ったことはなかった。
だが今は、本気で戦える。本気で戦わなければならない。
――お互いの攻撃圏内に入るまで、あと2歩。
オウカは、テソンを相手に――全身全霊で戦う。
――――オウカとテソンが遭遇する3分前。
首相官邸の正門から500メートルほど離れた地点に、国衛隊員が立っている。
黒髪ポニーテール。20代前半の女性だ。
首相官邸がある方角に、背を向けるように立っている。
その視線の先には、同じく国衛隊員である2人の男性がいる。
3人の国衛隊員は、首相官邸の警護の任務に当たっている。
そして、3人の腰には――侍族の誇り、日ノ国刀が携えられている。
――3人の顔に、緊張が走る。
3人は ほぼ同時に、日ノ国刀の柄に右手を伸ばす。
鞘から抜かれた3本の刀身が、太陽光を反射して美しく輝く。
-チャッ-
3人は、日ノ国刀を構える。
軽く腰を落とし、臨戦態勢を取る。
女性隊員の黒髪ポニーテールが、揺れる。
ARレンズを通した視界にある広域マップには、赤シグナルが表示されている。
こちらに向かって、猛スピードで接近してくる赤シグナルが。
それを、至近距離にいる味方(緑シグナル)が――敵(赤シグナル)を視認しているのだ。
そして、緑シグナルは、赤シグナルと衝突した瞬間――消滅したのだ。
ここから150メートルほど離れた場所で。
同時に、赤シグナルは見失われたが――こちらに向かってきているのは、明白。
今にも、眼前のビルの曲がり角からその姿を現すだろう。
その内の1人の男が口を開いた。
「――来る」
その言葉を受け、その横にいる男は、一段と深く腰を落とす。
侍族アヤメは、黒髪ポニーテールを再度揺らしながら、ビルの曲がり角を注視する。
――その女は、ビルの陰から姿を現した。
20代前半のボブヘアの女性。
速い。一直線に こちらに向かって走ってくる!
右手には、真新しい血で赤く染まった ”倭刀”
その顔にかけたラウンド型サングラスは、殺意を表明するかのように、太陽光を反射してギラッと輝いた。
右手に握った倭刀を、振る。
-ひゅんっ-
赤い血が舞う。
柔らかい風が吹く。
男性隊員の頭部が、回転しながら宙を舞う。
その横にいた、もう一人の男性隊員。
ボブヘアの女が放った斬撃の速度に、一瞬戸惑いながらも、一歩を踏み出した。
ボブヘアの女に向かって、横一文字の斬撃を放つ。
ボブヘアの女は、すっ、と一歩後ろに下がった。
横一文字の斬撃が、空を切った。
――ボブヘアの女は、男性隊員の眼前にいた。
-ひゅんっ-
赤い血。
柔らかい風。
回転しながら宙を舞う頭部――
――を!
ボブヘアの女は
左手で、鷲掴みにした?
いや、鷲掴み……ではない!
まるで、ボウリングの玉を持つかのように……。
生首の、両の眼球が収まっている穴に――指を突っ込んでいる!!
――ボブヘアの女は、アヤメの方へと顔を向ける。
サングラスで覆い隠されている筈の視線が、アヤメへと突き刺さる。
その殺意が、ビリビリとアヤメの心身を叩く。
ほぼ同時にアヤメは――鮮血を撒き散らしながら一直線に飛んでくる男性隊員の生首を、視界に捉えた。
アヤメは、咄嗟に左掌を眼前に構えた。
-ドウッ-
生首の重量が、アヤメの頭部を左掌越しに揺らした。
強い衝撃に、上半身が仰け反りそうになった
ボブヘアの女は、刀身を身体の左側に構えながら、アヤメの方へと走り出していた。
――その女は、北夕鮮兵士としてこの戦争に参加している。
北夕鮮軍へと、一時的に戦力貸与された兵士たちの中でも、トップクラスの実力者。
尖閣諸島 魚釣島で、国衛隊の部隊長マキを屠った女兵士。
――シーナ国軍の女兵士シャオルーは、アヤメに向かって、横薙ぎの 斬撃を繰り出した。
-ひゅんっ-
一風変わった鳥の鳴き声が、三度響いた。
それに呼応するかの様に、近くを飛んでいるスズメたちが、鳴き交わした。
――アヤメは、繰り出された斬撃に対し、日ノ国刀を斜めに構えた。
同時に、身体を沈めた。
-キィィンッ-
シャオルーの横薙ぎの斬撃は、倭刀は――日ノ国刀の、斜めの刀身の上を滑っていく。
斬撃を繰り出し終えたと同時に、柔らかい風が巻き起こる。木の葉が舞う。
倭刀を握るシャオルーの右腕は、その身体の右側へと飛んでいく。
その身体は、ガラ空きだ。
アヤメは、低い体勢のまま前進を始める。
そのまま、敵の胴体へ斬撃を――
――シャオルーの右脚が、跳ね上がった。
右のヒザ蹴りが、繰り出される。
アヤメは、咄嗟に左掌で右ヒザを受け止めようとする。
-ドズッ-
――右ヒザが、左掌ごとアヤメの腹部へ叩き込まれた。
前進しながら繰り出されたシャオルーの右ヒザ蹴りが、同じく前進するアヤメの腹部へと喰い込んだのだ。
「ぐううっ!」
アヤメの苦しそうな息が、漏れる。
身体が、後方へと吹っ飛ばされる。
シャオルーは、前進の勢いを止めない。
倭刀の柄を、両手で握り直す。
再び斬撃を繰り出すための 体勢に移行する。
――上段の構え。
再び、シャオルーのサングラスが太陽光を反射してギラッと輝いた。
シャオルーは、ふとアヤメの左手に視線を移す。
その右前腕に装着された手甲から、何かを取り出した。
黒い鉛筆の様な物体を、2本――棒手裏剣!
アヤメは、腹部の痛みに顔を歪めながらも、左腕を振る。
2本の棒手裏剣が、横に並列しながらシャオルーの腹部に真っすぐに飛んでいく。
「ちっ」
シャオルーは舌打ちしながら、斜め後ろに跳んで躱す。
上段の構えは崩れる。
アヤメは、背中から地面に倒れる勢いで そのまま後転、素早く立ち上がった。
アヤメは、シャオルーへと再び視線を移す。
間髪入れず、シャオルーが、再び前進してくる――
――否。
突如として、その動きが止まった。
何の前触れもなく、ぴたっ、と動きを静止したのだ。
その姿は、まるでファッションブランド店のウィンドウに飾られた、マネキンの様に見える。
……その右手に、真っ赤に染まった倭刀を、持ってさえいなければ。
アヤメは、不可解な表情を浮かべる。
2秒後。
シャオルーは、突如として再び動いた。
背を向けて、走り出した。
アヤメの存在を無視するかのように、首相官邸に背を向けて、走り出したのだ。
”………………………はああぁぁ?”
アヤメは、あっけにとられた。
そのまま呆然としながら、どんどん小さくなっていくシャオルーの後ろ姿を見送る。
……訳が わからない。
――アヤメは、不可解な表情を浮かべながら、日ノ国刀を鞘に納めた。
眼前には、首を飛ばされた2名の国衛隊員。
首と斬り離された胴体の下には、真っ赤な血の池ができている。
その顔には、闘志を表明したままの表情が浮かぶ。
アヤメは、虚無感にあふれた表情で、2つの生首に歩み寄る。
アヤメに投げつけられて、そして地面を転がっていった生首も、偶然ながら もう1つの生首の横にある。
長年 共に鍛錬を積んできた同志たちの生首の前に、膝をつく。
手を伸ばす。目を閉じさせる。両手を合わせる。
目を閉じて、黙祷……はできない。
いつ、敵兵が物陰から武器を投げてくるか、知れたもんじゃない。
目を開けたまま、周りに充分に注意を向けたまま――不完全な黙祷を捧げる。
数秒後。
アヤメは、黙祷を解除した。
赤い血の池から視線を上げる。青い空を見上げる。
本来は美しい筈の赤と青のコントラストが、こんなにも憎らしく思ったことはない。
侍族アヤメは、ふと昔を思い出す。
そして、自分が慕っていた女性の先輩を。
流派は違えど同じ侍族同士、アヤメはシンパシーを感じていた。
”私、こんな時なのに、また思い出しちゃってる。
いや、こんな時だから……なのか?”
――感傷に浸っている暇は、無い。
いつ、新たな敵が襲撃してくるかわからない。
この防衛ラインを、断じて突破されてはならない。
この防衛ラインの奥、首相官邸の内部で、総理を警護しているタケルさんの手間を増やしてはならない。
”私も、タケルさんも――ずっと後悔してる”
ここが襲撃されてから、数十秒間が経過した。
国衛隊員数名が、こちらに走ってくるのが見える。
司令部から、指示を受けた隊員たちだ。
アヤメは右手を上げる。アイコンタクトを交わす。
そして、首相官邸がある方角へと視線を移した。
”タケルさんの下で共に戦ったハルさんが――あんなことになってから”
――シャオルーの視界には、重要な通知が表示されている。
それは、スパイとして国衛隊に潜入しているオウカから、発せられたモノだ。
”テソンを発見した”
シャオルーは、北夕鮮軍から支給されたWi-Fiマイコンに加えて、先刻リーファから渡されたモノも身に着けている。
オウカと同じく、シーナ国軍の小型チップ型の使い捨てWi-Fiマイコンを、靴のベロ(シュータン)の裏に取り付けているのだ。
(あとリーファは、私を ”シャオるん” と呼ぶのやめろ……任務中は)
――テソンがいる場所に、同胞たちが集結する。
戦争への参加資格の有無にかかわらず、移動圏内にいるシーナ国軍の主力兵士たちが、そこに集結するのだ。
それ即ち――
テソンを殺せる千載一遇の好機!
シャオルーの口角が、上がった。
サングラスの上からでも――笑っていると、わかる位に。
――――オウカは、本気で戦えることを理解した。
眼前にいるテソンを相手に、全力で戦うのだ。
国衛隊にバレることを、一切 気にしない。
五体の力を、速度を、技術を――すべてを解放する。
テソンが一歩踏み込んできた。
その両手は、自然体のまま両肩から下げられている。
間合いが、詰まる。
オウカは、全身全霊、最速で――
日ノ国刀が握られた右腕を、振った。
――奇妙な手応え。
オウカは、右手に奇妙な感覚を覚えた。
オウカは、自身が振った日ノ国刀の切っ先を注視する。
そこには、奇妙な感覚の答えがあった。
いつの間にかテソンの左手は、オウカが振る日ノ国刀の軌道上にあった。
そして、オウカの斬撃を止めたのだ。
いや、厳密には――テソンの左手に、逆手で何か握られている。
柳の葉の様な形状。
棒手裏剣の先端をかなり太く、握りの部分を少しだけ太くしたような形状。
棒手裏剣と苦無手裏剣の、中間の様な形状。
シーナ国の武器 ”飛刀” だ。
左手に逆手で握った飛刀で、オウカの全力の斬撃を受け止めたのだ。
――だが、奇妙な手応えの正体は、飛刀そのものではない。
飛刀の様な、小さな武器で防御しようとしても、日ノ国刀の斬撃は防御ごと弾き飛ばし――斬る。
日ノ国刀の重量は、そのまま威力に転嫁されるからだ。
――なのに、止められた。
人並外れた剛力と握力に物を言わせて、小さな武器で日ノ国刀を防いだわけでもない。
なぜなら――日ノ国刀と飛刀が衝突する感覚が、ほとんど無かったからだ。
まるで、衝突する瞬間に、その衝撃が――極々小サイズの、無色透明のブラックホールに吸い込まれてしまったかのように。
……先程まで、何も持っていなかったテソンの右手には――刀が握られている。
”――――!!”
オウカは、反射的に後ろに跳んだ。間合いを取った。
……テソンは、追撃してこない。
ただ、恐ろしく冷静な視線を、オウカに向けている。
オウカは、テソンの右手に いつの間にか握られていた刀を見る。
全身から冷や汗が流れる。
【死んだ】かと思った。
【首が斬り飛ばされる】かと思った。
……オウカは、もう一つ奇妙な感覚、引っ掛かりを覚えた。
なにかが、思考の渦の中で、引っかかっている。
一体、何が――
「――シーナ国のスパイか?」
テソンが、オウカに対して放った第一声がそれだった。
不意の質問に、オウカは少しばかり動じた
――スパイであることを疑われ、尋問されるような状況は、予め想定している。
だが、あまりに唐突だったため内心 動揺したのだ。
「誰がだ?……私が?」
オウカは、冷静を装いながらも言葉を返す。
”陽動だ!聞いてくるのは、確証がないからだ!
カマをかけるなど、常套手段じゃないか。惑わされるな”
オウカは、そう自分に言い聞かせながらも――テソンには、すべてを見透かされている様な恐怖を感じた。
テソンは、相変わらず冷静にオウカを見据えている。
「お前は、シーナ国からスパイ任務を任される――に足る能力を持っている」
「……根拠としては弱いな。まあ、そういう認識でいてくれても、別に構わない」
「――もしかして、気付いてないのか?」
「……………」
「お前が今 現在――スパイである証拠を持っている、と――」
瞬間、オウカの脳裏には――
自身が身に着けている、靴のベロ(シュータン)の裏の、小型チップ型の使い捨てWi-Fiマイコンが浮かんだ。
”何故知っている!さっきの攻防で見える様な位置ではない。いやこれも、カマをかけている?”
オウカの脳内で、混沌とした思考が展開されていく――
-チャッ-
不意に、テソンが刀を構える。
それに反応したオウカは、同じく日ノ国刀を構える。
テソンは、それ以上動かない。
――テソンは、オウカの返答を見ている。
言葉による返答は されずとも――その五体は雄弁に語る。
表情。
目線。
顔の角度。
姿勢。
位置取り。
目線。
声のトーンや大きさ。
話すスピード。
精神の緊張。
身体の緊張。
それらのタイミング。
そして…それらを制御しようとする、思考。
さらには……思考で制御しきれない、突発的な反応。
「――答えられない……か」
「何を言っている。お前が刀を構え――」
テソンは、一歩踏み込んだ。
オウカは、言葉を中断して改めて日ノ国刀を構える。
テソンは、私の反応を見て――クロの可能性が高いと判断したのだろうか。
そうであった場合、非常にまずい。
国衛隊に、忍者族に、匿名で一報を入れるだけで、シーナ国への牽制になる。
国衛隊にも、シーナ国のスパイが――いや、他国からのスパイもいるだろう。
疑心暗鬼に陥らせることができる。
オウカの額に、じっとりとした汗が流れた。
――不意に、自身が先刻から抱いていた違和感の源泉を理解した。
奇妙な感覚、引っ掛かりの原因は――テソンが握っている刀だ。
日ノ国刀だった。
どこかで、見覚えのある日ノ国刀。
「……その……刀は――」
オウカは、記憶をたどりながら たどたどしく言葉を発する。
「――――カンナの、愛刀だ」
オウカの脳裏に、尖閣諸島 魚釣島での記憶がフラッシュバックした。
共に戦い、そして殉職したカンナ。
その遺体から持ち去られていた、カンナの愛刀。
――それを、テソンが持っているのだ。
テソンは、冷静な表情のまま、オウカを見据え続ける。
”国衛隊の仲間を想うフリをして、スパイではないアピールか?”
北夕鮮と日ノ国は、国交断絶している。
故に 日ノ国の武器の輸入もされない。手に入らない。
そして、北夕鮮軍兵士が尖閣諸島 魚釣島の戦利品として持ち帰り――そして尊敬するテソンへと無償譲渡された、日ノ国刀。
日ノ国刀は、世界中の刀剣類の中でも、質が高いとされる。
それを右手に握りながら、テソンは無言でオウカを見据える。
”なぜ、お前がそれを持っている?”
オウカの脳内は、さらに混沌としていく。思考の渦に巻き込まれていく。
そして、オウカは自身の左手に、視線を落とした。
左手が、急にズキズキと痛みを発した様に感じられたからだ。
左手の甲には、自ら刻んだ傷が残っている。
まだ完全には治癒していない。赤い線が走っている。左手の裏拳を本気で繰り出そうものなら、再び傷が開き、血が溢れてくるだろう。
しかし、その傷の痛みが――自身に何かを訴えかけている様な感覚に陥った。
カンナが自身に怒り、そして自傷した光景が、カンナの武士道がオウカに何かを訴えているような気がした。
オウカの脳内は、さらに混沌としていく。思考の渦に巻き込まれていく――
それは、数秒間に満たない時間だった。
だが、オウカにはかなり長い時間に感じられた。
テソンは、明らかに注意散漫なオウカに対して、攻撃を仕掛けない。
”演技ではない可能性が高い。敵に共感・感情移入してしまうパターンか”
五体から、大量の情報を垂れ流すオウカを、ただただ至極冷静に、観察し続ける。
シーナ国の動向を可能な限り把握しておけば、いずれシーナ国との戦争の際にも、役立つからだ。
――オウカの思考は、思考の渦から脱した。
至極、シンプルな結論に到達したのだ。
”オウカは、スパイである” と、忍者族へのタレこみを阻止するには。
カンナの愛刀を奪還するには。
”こいつを、絶命させればいい”
――オウカの精神が、統一されていく。
「ふううぅぅ――――」
オウカは、ゆっくりと、長く、息を吐いていく。
オウカの身体から、緊張が抜けていく。
オウカの心に、一切の迷いがなくなった。
その両の目は、真っすぐにテソンへと向けられる。
オウカは、改めて日ノ国刀を構える。
純粋で透明な殺意を、テソンに向ける。
身体は、理想的なリラックス状態を維持している。
思考にノイズがない。肉体にも緊張がない。
その思考は自身がすべきことに、より没頭できる。
その肉体は自身がすべきことを、より忠実に実行できる。
自身がすべきこと、それは言うまでもない。
オウカは、再び全身全霊で――テソンの抹殺を、開始する。

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