混乱が、日ノ国を覆っていく。
それは、東京から始まり、そして全国へと広がっている。
全国の港で、物流の要所で――不可解なトラブルが続出。
管理システムの異常。
伝票と品物の不一致。
コンテナの誤配置。
搬送機器の不具合。
配送トラックは待機の列。
労働者同士の責任転嫁と対立。
物資の搬出効率が、大幅に低下。
物流インフラが、悪化していく。
国内の物資が、不足状態に陥ろうとしている。
栄養が行き渡らねば、人体が死ぬ様に、
物資が行き渡らねば、国家は破滅に向かうのだ。
――――竹が、覆い隠すように四方を囲う。
その中に、静寂に包まれた空間。
そこには、静寂に包まれた蕎麦屋。
その中に、オウカの姿があった。
「……という状況です。
そして、”物流のトラブルは、労働者として生活する外国人スパイによる破壊工作” という説が、国衛隊内で有力視されていて――」
長い髪を後ろで束ねた20代半ばの女性は、この蕎麦屋の店主――として日ノ国に潜入しているシーナ国の女戦士メイフェイ。
オウカの ”報告”に、静かに耳を傾けている。
──尖閣諸島 魚釣島で戦った後、石垣島駐屯地での治療を受け、この街に帰還した日。
オウカは すでに報告に訪れてはいた。
そして今、北夕鮮との全面戦争を控えた国衛隊内部の情報について、オウカが知りえる範囲の情報を報告しているのだ。
「――了解」
報告を受けたメイフェイは、静かに応える。
メイフェイの表情は、いつも通り冷静沈着。
当然メイフェイには、シーナ国からの情報も……オウカの知らない情報も、入っているだろう。
だが、当然ながら、オウカにはその大部分が知らされない。
知らせる必要が、無いから。
知らせるリスクが、有るから。
スパイとバレて、口を割らされる恐れ……というリスクだけではない。
必要とあらば、オウカが自らの意思で祖国・シーナ国を裏切るリスクもあるからだ。
オウカがスパイとしてシーナ国に資する行動をしているのは愛国心ゆえでは……ない!
父親への復讐――の為だ。
オウカは、愛国者ではない。
オウカは──復讐者なのだ。
――――次の日。
沖縄唐手の選択教練を受けているオウカ。
その鍛錬中、オウカは視線を感じていた。
その視線は、鍛錬場の外からオウカに向けられたものであり、それを隠すつもりもないようだ。
オウカは、視線が放たれている方に、ふと眼を移す。
視線の主は――20代半ばの、派手なメイクの女性。
明らかに、オウカに用があるようだった。
――選択教練が、終了。
先程感じた視線の主が、オウカに近づいてくる。
「君が、オウカか?」
視線の主が、オウカに話しかけた。
20代半ばの、いかにもギャルって感じの女性。
茶髪に赤のメッシュが入ったセミロングヘア。
両耳には、これまた派手なピアスが存在感を放っている。
「……はい。あなたは?」
返答しつつも、オウカは――大体の予想がついていた。
「殉職したマキの同期だ」
予想通りだった。
「魚釣島で、マキが部隊長として、どのように……職務を全うしたのか、聞かせてくれ」
予想通りだった。
「――もちろん、訓練が終了したばかりで疲れているだろう。
だから、明日以降そちらの都合の良い日時に聞かせてほしい。
こちらの都合で、君の時間を使わせて……すまないが」
「私も――マキ部隊長がどんな信念で国衛隊にいたのか――知りたいです。
教えてください。
――今、ここで」
「…………ありがとう。
申し遅れた。
――私の名は、ラキという」
この後、エレナとの用事がある。
しかし、エレナは、距離が離れた鍛錬場での選択教練を受けている。
また、外部講師を招いて行われるので、鍛錬に必要な武具も外部講師の持ち込み。
なので教練終了後は、それらを入念に手入れしなくてはならない。
したがって、エレナは待ち合わせ場所に数十分遅れる。
この上官と話す時間は――充分にある。
オウカは、ラキに魚釣島での戦いの詳細を話した。
マキが部隊長として、どのように戦いを指揮したのか。何を話したのか。
――そして、オウカはラキから、マキ部隊長の昔の話を聞いた。
「――マキは、最期まで使命を全うしたんだな。
……君から、話を聞けてよかった」
「いえ……」
「借りができた」
「いえ……気にしないでください」
「いや、気にする」
「……あ……えっと……その……」
「私は、君の直属の上官ではない。
なのに、国衛隊内での立場が上という事実を、自分のエゴに利用した。
君に――嫌な記憶を思い出させてしまった」
「…………」
「――マキの最期を、知れてよかった」
ラキの表情は平静を装っていたが、その内面には――復讐心。
そして、それが巨大化していくのを、オウカは感じ取っていた。
ラキもまた――復讐者となるのだろう。
オウカは、ラキの後ろ姿を見送る。
ふと、オウカは――自分の任務を忘れているのでは?……と思った。
シーナ国のスパイとしての任務を。
私は……上官たちが知りえる国衛隊の内部情報を、可能な限りラキから聞き出すべきだったのでは?
…………いや。
私は、スパイとしての任務を、遂行している。
上官に恩を売っておけば、何かと都合が良いだろう。
例えば、スパイの被疑者になってしまった時に、擁護してもらえる確率も上がる。
――私は、スパイとしての任務を、断じて忘れてなどいない!
明日は、国衛隊の訓練は休みだ。
――オウカは、自分の肉体をかなり追い込んでいた。
ほぼ毎日、国衛隊の訓練の前、早朝に――数時間の自主練をしていたからだ。
そして、魚釣島で戦い、石垣島での治療から帰還した後は――その自主練の強度・密度が、確実に増していた。
とうぜん、肉体にも疲労が溜まる。
少しばかり、いや、たっぷり休息が必要だ。
――次の戦いに、備えて。
「オウカ~」
ふと、聞きなれた声がオウカの耳に飛び込んできた。
すでに、エレナは待ち合わせ場所に来ていた。
「そっちの選択教練、時間が押してたの?」
「ああ、すまない。急に野暮用が入って」
”マキ部隊長の最期を、上官に話していた” とは、言わなかった。
心を、精神を、休ませる時間も必要だった。
――スパイとしての任務を忘れて、年相応の女の子の様に……遊ぶ時間が、欲しかった──
「じゃあ、街に遊びに行こうか」
エレナが、オウカにいつも通りの屈託のない笑顔を向ける。
オウカは、緊張の糸がほぐれたように、ふっ、と微笑んだ。
――――侍族が所有する敷地。
広大な敷地内の中央には、大きな鍛錬場。
その敷地の端に、小さな通路がある。
その奥に、小さな茶室が静かにたたずむ。
茶室の中は、日ノ国の伝統と格式が体現されており、心地よい静寂に包まれている。
2人の女性がいる。
その内の1人は、忍者族のハツメだ。
ハツメは正座をして、もう1人の女性を真っすぐに見据えている。
ハツメの視線の先。
――そこには、日ノ国古来の和服を纏う女性。
凛として、美しい顔立ち。
その風貌は、古風でありつつも、高い気品を湛えている。
その前髪は、顔に薄い影を落としている。
その後ろ髪は、襟足の少し上で緩くまとめられている。
そして、どこか妖艶な……ミステリアスさをも、纏っている。
実年齢は、40歳前後。
なのに、年齢をまったく感じさせない、若々しい姿。
お茶を入れる所作ひとつひとつが、柔らかく、たおやかであり、優美さを感じさせる。
”京美人” という言葉を、体現したような女性だ。
ハツメは、ゆっくりと口を開く。
「――久しぶりですね。
こうして、ゆっくり話すのは」
「ハツメさん。
よく、来てくれました」
和服の女性が、澄んだ声で応えた。
柔らかな物腰でありながら、どこか悲哀を含んでいる。
落ち着きつつも、どこか力強い。
「敬語はやめてください。
あなたの事情は、忍者族の上層部も承知しています」
「…………気を遣わせたわね」
「国衛隊上層部から、戦略の大枠の指示は、既に伝わっていますよね」
「ええ」
「今日は、北夕鮮との全面戦争において、テソンをどのように迎え撃つか――具体的な戦術を伝えに来ました」
和服の女性が纏う空気が、ぴん、と 張りつめた。
――張りつめた茶室の中で、ハツメは言葉を続けていた。
「――その成功確率を上げるために、数年前あなたが生け捕りにした、”忍者族の大犯罪者” を利用します」
「……適任ね」
「こちらから命令する前に、自ら志願してきました」
「彼の趣味嗜好は理解しているつもりだけど、相変わらず全く共感できない……異常者」
和服の女性が纏う空気が――更に、張りつめた。
「共に、日ノ国を護りましょう……ハツメ」
「――はい。サキョウさん」
「――テソンは、私が殺す」
――――独裁国家・北夕鮮。
シーナ国と国境を接する小国。
血族による ”絶対支配”
総統を神格視させる ”思想教育”
国民同士の ”相互監視”
結果、恐怖政治により夕鮮労働党が 支持率100%を実現。
――世界最悪の独裁国家。
その軍事力――北夕鮮軍。
その鍛錬場に、20代女性がいる。
北夕鮮軍の女兵士・ミョンヒだ。
鍛錬をしている。
女性の動きに合わせて、金髪のロングヘアが踊る。
――夕鮮半島に古くから伝わる伝統舞踊・”剣舞”
舞踊として受け継がれてはいるが、その源流は暗殺術だ。
両刃の短剣を握り、体を激しく回転させる。
美しく舞うかのように、2本の短刀を操る。
……ふと、その動きが静止した。
――精神を統一。
4つの人形が、並べられている。
その中央に、ミョンヒが立つ。
戦闘時における最悪に近い状況を、4人の敵に至近距離で囲まれた状況を――想定している。
空気が、張りつめる。
-フアッ-
空気が、踊った。
4体の人形が、踊った。
1体目の人形――頭部が、踊った。
2体目の人形――右腕が、踊った。
3体目の人形――左脚が、踊った。
4体目の人形――頭部が、踊った。
常人ならば……ミョンヒと4体の人形が、同時に、踊った様に見えるだろう。
それくらいの速度で、2本の短剣による剣撃が繰り出されたのだ。
ミョンヒは、再び静止した。
数瞬遅れて──4体の人形と、その各部位が、地面に叩きつけられる音が……鍛錬場に響きわたる。
「――鍛錬中、失礼致します」
ミョンヒと4体の人形による舞踊が終わったタイミングで、背後から男が現れて声をかけた。
「――ありがとう。一区切り付くのを、待ってくれて」
「……はっ。報告いたします!」
「来週には、日ノ国本土への侵攻を実行するとの通達です」
ミョンヒの表情は、変わらない。
「また、共闘関係にあるシーナ国からの情報では――日ノ国は、サキョウをテソン殿にぶつけようとしている……との事です」
ミョンヒの表情は、変わらない。
「そして、シーナ国は――尖閣諸島の時と同様に、戦力貸与の協力を継続する…とのことです。」
ミョンヒの表情は、変わらない。
「―― ”裏切り者” の動向は?」
「北夕鮮の日ノ国本土侵攻の宣言が、世界に報じられた後も――目立った動きはありません。」
「了解」
ミョンヒの表情は、変わらない。
「本土侵攻時、テソンが途中まで指揮する。
機を見計らって、テソンも直接戦闘に参加する」
――テソンの成長は、信じられないほどの速度だ。
新兵として入隊して2年後……つまり半年前、私よりも強くなった。
戦闘力も、頭脳も、人格も、思想も――尊敬に値する。
──ミョンヒは、輝かしい将来を見据え、晴れやかな表情を浮かべた。
「テソンは、北夕鮮の―――― “覇権国への希望” そのものだ」
――――白い髪。
雪のように、白い髪。
……その主が座っている。
端正な顔は、冷静な表情を浮かべている。
椅子に座る姿に、隙がない。
その動きに、無駄がない。
いついかなる時でも起こりえる、不測の事態――に対処することを前提とした、常在戦場の精神が感じられる。
ここは、とある広い一室だ。
その床に敷かれた、赤いカーペットが、高級感を演出している。
室内の一角には、インテリアだろうか。
長い一本の竹が、置かれている。
室内の対角線上には、鞘に収まった一振りの刀が置かれている。
その男は――北夕鮮軍に入隊後、2年しか経過していない。
なのに、広い個室を与えられている。
入隊後数か月で、新兵には異例中の異例といえる、個室が与えられたのだ。
その男の、極めて高い能力を評価して。
その男の、極めて高い潜在能力を期待して。
その男は、椅子に座りながら、分厚い文献のページをめくっている。
大きな机の上には、大量の文献が積まれている。
兵法
地政学
法律・国際法・外交史
インフラ学
心理学
帝王学
生物学
医学
宗教・神話・民族史
経済・金融・資源
マーケティング学
統計・数学・ゲーム理論
……など、多種多様な分野の文献だ。
これらの分野の北夕鮮発行の書物は――幼少期に既に読んだ。
机に積まれているのは、日ノ国の出版社が発行した、これらの分野の書物だ。
それを、速読している。
時々、ページをめくる手が止まり、熟考する。
ノートパソコンに、気付きやアイデアを打ち込み、記録する。
そして再び、ページをめくり始める──
――男は、椅子から立ち上がっていた。
その動きは、極めて柔らかく、常人ならば、立ち上がる瞬間を察知できなかっただろう。
自然体で立っている。
……精神を統一。
ぴぃん、と部屋全体に 男の意識が張り巡らされていく。
部屋全体が、男の身体の一部になってしまったかの様だ。
まだ小柄なのに、巨大な山の様な存在感と安定感。
まだ幼さが残る顔の造形……とはあまりに不釣り合いな、老練・熟達・達観した表情。
……目を閉じた。
――彼の名は、テソン。
赤ん坊の頃から神童と呼ばれ、その才能を伸ばす環境にも恵まれ――そして、”北夕鮮軍を覇権国にする” という使命を得る。
その使命を達成する為、北夕鮮軍に入隊。
その後、1年間で、 ”北夕鮮軍の天才” と言われるミョンヒと、同格視されるほどの戦闘能力を持つ兵士に成長した。
その半年後、ミョンヒを超える戦闘能力を身に着けた。
……目を閉じたまま、微動だにしない。
そして現在は、北夕鮮軍を率いる実質的なトップ。
ありとあらゆる文献を読み、咀嚼し、そして軍事戦略に活かす。
現在も、到底信じられない速度で、成長しつづけている。
……目を開けた。
部下が持ち帰った、”戦利品” である刀に手を伸ばす。
鞘から抜く。
美しい波紋に彩られた、刀身が姿を現す。
部屋の一角に立ててある、長い一本の竹の前へと歩を進める。
立ち止まる。
……静寂――
―――――――――――――
――刀が、鞘に収まっていた。
竹が、ずずず、と斜めにズレていく。
三か所が、ずずず×3と、斜めにズレていく。
3つの斬撃の後、重力を忘れていたかのように数瞬遅れて、切断された竹が重力に引っ張られていく。
そして、竹の残骸は床で跳ねた。
……刀を、元の場所に置く。
部屋の中央へと歩を進める。
……跪く。
胸の前で、両手の指を組み合わせる。
──神に祈る様に。
……天を仰ぐ。
“偉大なる指導者よ”
“自分など、貴方の足元にも及ばない”
“どうか我々を、お導き下さい”
命よりも大切な宝物を収めた箱を開ける様に、大事に大事に──その言葉を紡ぐ。
彼の名は、テソン。
”北夕鮮史上・最高の天才” と謳われる、生ける伝説。
その伝説は、世界にも轟いており――各国の軍から危険視されている。
……その言葉は、
北夕鮮の、絶対正義。
彼の世界の、第一原理。
「すべては、総統の為に」
――彼の名は、テソン。
15歳の少年が抱くのは――あまりにも、純粋な思想。

コメント